『今朝五時半頃、ある廃ビルの下で十代ほどの少年少女が二人、折り重なるように倒れて死んでいるのが発見されました。死体はどちらも頭部に著しい損傷が見られ、それが死因と見て捜査を進めています。
警視庁によりますと、その屋上にはちゃんとした柵があったため事故である可能性は少なく、飛び降り自殺ではないかという事です。事件の経緯については、少女がビルから飛び降りた際少年の上に落ち、両人とも頭を強打し亡くなったと見られており、また、少年は少女を庇うような体制で倒れているため落ちた少女を受け止めようとしていた可能性も考えられ、今現在目撃者が居ないか近所の住民に情報提供を呼びかけています――――』


「もうその事件は聞き飽きたって言うのよ」
未だに喚き続ける煩いラジオをコンクリートの床に叩きつけ物理的に黙らせる。ガツンと硬い音がした後、ラジオはしばらく砂嵐のような音を出し続け、終いには全く喋らなくなった。
ありふれた殺人だの自殺だののニュースはうんざりで、政治についてのニュースだってなんの進みも見られないし、きっとこうして情報を集めるのは無意味なのだと思う。溢れているのは知ってもどうしようもない事ばかりではないか。と、そんな苛立ちをぶつけ勢いで壊してしまったが、未練も罪悪感は無かった。特に私に必要なものだというわけではない。そこらに捨ててあったただの暇つぶしだった。
それでも、寂れた屋上の上には意味の分からない配管と必要性のわからない給水塔が置いてあるだけで、他には時折風が吹く音しかなく。少し物足りない気もして、煩いラジオでも残しておくべきだったかもしれない、と今更になって後悔した。残骸を拾い上げて軽く振ってみる。テレビは叩いたら直るというが、機嫌を損ねた古臭いラジオは黙ったままだ。
結局手持ち無沙汰になって、冷たいコンクリートの床に転がった。ゴウゴウと吹く風。少し寒いな、とは思うが、雲ひとつない空は確実に春の訪れを告げていたので、たぶん今週が終われば当たり前のように暖かくなって、無駄に暑くなって、また涼しくなって寒くなるのだろう。そう、繰り返すだけなのだ、この世界は。
「あーあ、嫌な世の中」
世の中のせいにしてしまえば、全てに言い訳が利く気がする。嫌な世の中、おかしな世の中、不景気な世の中。こうして言い訳すれば混沌とした現実にも哀愁が湧くというものだ。ああ、嫌だ。だるい人生だ。しかし、どうしてこう大人ぶって人生だの世の中だの語っていると子供っぽく聞こえてしまうのか。ぼんやりと思考してみたが、こんなことを佐助辺りに聞くと「アンタが子供だからだよ」と呆れたように言うだろうというところまで考えが至って、途中で飽きた。

耳の奥で、心の篭っていない声で読まれたニュースがぐるぐると回っている。確か、飛び降りのニュースだったか。どうせ自殺だとかなんとか、ありがちな不幸なのだろう。こんな小さなニュースでさえ逐一放送されるのだから、本当"嫌な世の中"。そんなにネタがないのだろうか。それとも、これを「小さなニュース」と思ってしまう私が、この情報社会に飲まれているのかもしれない。こうして日々冷めた日常を聞いていると、ある程度人が沢山死なないと特に驚けなくなるようだ。これも"嫌な世の中"の影響だろうか。ああ、やっぱりどうでも良すぎて思考が続かない。こんな現実は瑣末すぎて、時間つぶしにすらもならないようだ。

「佐助、遅いなぁ・・・」
待ち合わせをしていると言うのに、その待ち人は一向に現れる気配が無い。時間を潰すいい方法も見つからないし、いい加減風の中に寝転んでいるのも寒いのだけれど。悪態をつきながら起き上がって、私は特に目的もなくその屋上をグルグルと歩き回ってみた。こつこつ、かつかつ。硬い床が音を立てて傷を増やしていく。
ふと、ぼろい錆びついた柵に触れてみる。この屋上を囲うように作られたソレは少しがたついていたが、それでも安定していた。これもまた、ニュースのような飛び降りを防ぐためにあるのだろうか。そうならとんだお笑い種だと思った。こんな低さで何を守ろうとしていると言うのか。小学生だってあっさりと飛び越えてしまうだろう。それ以前に、ちょっと勢いをつけてぶつかっただけで崩れそうだ。私はそのお粗末な柵をまたいで、外を向く形でその上に座った。足が床に触れなくて、空中で安定を探して動めく。そのせいで、先程以上に風に包まれたような気分になる。柵からは朽ちかけている鉄の臭いがした。それでも空に雲は無いから、見るものは飽きるほどに何処までも続く青色だけしかない。時間潰しを探すことがこんなにも難しいとは思わなかった。

突然、ブブブブブ、と変な音を立ててポケットの中のケータイが揺れた。マナーモードにしたままだったらしい。鉄の柵にちょうど当たっているのか、鈍い嫌な音だった。メールかと思ったが、予想以上に長い間震え続けているのでこれは電話なのだろう。私はその特に新しくも無いそのケータイを取り出して通話ボタンを押した。

『やっほ、ごめんね遅くて』

その電話は予想通り、今まで私が待っていた人に繋がっていて、私は溜息をつきながら「本当に遅すぎるよ」と嫌味を言った。電波の向こう側で待ち人は『ごめんごめん』と悪びれなく笑った。特に責める気は無いものの、こうあっけらかんとしていると責めたくなる。が、結局「悪いと思ってないでしょ」とちょっと拗ねて見せるだけにした。私ってなんて優しいんだろう。

それで、この男は今いったい何処にいるのだろうか。ここに着いているような口ぶりだったけれど、だとしたらどの辺りなのだろう。結構な高さを有するこの建物でたった一人の人間を探すのは至難の業のように思える。そう思って居場所を聞こうとしたのだが、佐助は私が聞く前に楽しそうに言った。
『ね、今俺様の真下に居るんだよ』
言われてすぐに柵の上の危ない姿勢のままで遥か下の地上を見下ろすと、右耳にケータイを当てているらしい小さな佐助の姿が見えた。此方に向けて手を振っていたから間違いなくその人だ。「ホントだ、真下にいるね」呟くと、特に聞かせようとして言った呟きでもなかったが『そうだよ、危なっかしいの下にいるんですよー』と笑い声交じりの言葉が返ってきた。

電話を繋いでいると言うのにしばらく二人で黙り込む。こうしているだけでお金が湯水のように消えていくのだからケータイと言うのは金食い虫だと思うのだが、今はそんなことは放っておくことにした。
もうラジオは壊れて喋っていないはずなのに、ニュースキャスターの棒読みの声が蘇る。『ある廃ビルの下で十代ほどの少女と少年が折り重なるように死んでいるのが発見され―――』そうしようとしている訳でもないのに同じ事態を想像してしまう。今、もしもこの柵が突然折れて・・・いや、そこまでしなくとも、少し前のめりになっただけで、私の身体は宙を浮きやがて地面に叩きつけられ、どこぞの少年少女と同じ状況になるのだ。遠い地上を見下ろす。何メートルくらいあるのだろう。飛び降りたらどれくらいの時間を落ち続けるだろうか。落ちたら当然死ぬ、のだろうけど。この高さなのだから。でも、どれほど精密に想像しても恐怖は湧かなかった。むしろ逆に、死にたいわけでもないのに、自分が現実から一歩踏み外しただけで死ねるという事に安心した。

私の考えが伝わったかのように佐助は私を見上げる。『あの飛び降りの死体、なんで折り重なってたんだろうね』と笑いを含んだ声が耳元で囁く。「確かに不思議だよね、二人で飛び降りたわけじゃないのにね」答えてから、ふと思う。落ちた少女。それを受け止めようとした少年。そう考えるのは違うのかもしれない。それはただ状況から想像しただけで、真実はそうじゃなくて。もしかしたらそう、例えば。

「・・・ねぇ、佐助」
『ん?なに?』
「私、今から落ちようか」

いきなりの言葉に佐助は沈黙したのあと、『奇遇だね、俺様も同じことを思ってた』苦笑混じりに答えた。そのセリフが予想通りで思わず私も笑う。結局、こういうことか。自殺とか死にたいとかじゃなくて、ただなにかが歪んでいる。オカシイから、惹かれる。惹き合ってしまう。つまり、イカレた世界は繰り返されるっていうだけの当たり前の真理。

見下ろした地上の上、小さな粒みたいな佐助が両手を大きく広げて上を見ていた。私はケータイを耳から離して握ったまま膝の上に置いた。佐助は何かを言っていた。その声は遠すぎて生では届かなかったけれど、手の中のケータイを通じて微かに届いた。機械越しのちょっと歪められた、明るくて優しくて愛おしみの込められた声だった。

『おいで』

私はケータイを後ろに放り投げて、そのぐらついた柵を蹴った。







終わらない世界
Endless World








死にたいわけじゃないのに死に惹かれる少年と少女。
意味の無い物語が好きです。
全ての人が救われる話と同じくらい、誰も救われない話が好きなのです。
そして自分的になんとなく気に入っている本質に近いお話。
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