「・・・この照る月は満ち欠けしける・・・」

月とは一体なんなのだろう。時々思うことがある。この真っ暗な空にポツリと浮かんで輝くのは何故だろうか。・・・なんてね。そんな感傷に浸るほど私は月を綺麗だと思ったことは無い。どうしてかその美しさは、独眼竜に一度見せてもらった薔薇という名の花の美しさに似ている。鋭い棘をもつ美しさ。そう、あの木の上で私を見下ろしている人の美しさに近い。
「何してんの、こんな夜遅くに」
木の枝に寝そべりながら私を見下ろす佐助の目は、まるで小さな月のようだ。
「庭の雑草が気になってね」
「こんな夜遅くに?」
佐助がもう一度反復する。よほど文句をつけたいらしい。私は、「昼間に私がすると皆が止めるでしょう」と悪戯っぽく笑って見せた。佐助は、それで今するっていうの、と呆れた風に言う。
「それじゃあ元も子もないでしょうが」
「佐助は正論ばっかりね」
「そりゃあ俺様は正しいことしかいいませんからね」
拗ねて見せても佐助は相変わらずだ。今泣いて見せたって動揺などしてくれるはずも無い。最低な男だ。と、思うと同時に顔がほころぶのは、たぶんそんな佐助の一部分を気に入っているからに違いない。
「でも正論とは時に、正しいだけの意見になるわ」
「ようするに?」
「佐助も手伝えってこと」
そう言うだろうと思いましたよ、と佐助はいつものように肩をすくめて私の傍に降りてきた。なんだかんだ言って付き合ってくれるところも、優しい。けれど今日の誰かの優しさは、どんなものだとしても残酷なものに成り下がる。それは少し悲しいと思う。

「何を詠んでたの」

雑草を抜きながら佐助が言った。間を空けてから、ああ、と呟く。聞いていたのか。
「この照る月は満ち欠けしける」
「そうそれ」
そんな歌あったっけ。と佐助はこちらも見ずに言った。手は黙々と雑草を抜いている。こんなことでさえ佐助の手際の良さが窺えるのだから、本当に容量のいい忍だと思う。
「これはね、私が詠んだ歌じゃないのよ」
「それくらい分かるよ」
「なに、私の詠む歌はこんなに上手くないって言いたいの」
「そうそう」
「・・・ちょっとくらい否定してよ」
からからと笑う佐助に釣られて笑う。私は腹いせも兼ねて、手に持っていた雑草を放り投げてばら撒いた。「わ、ちょ、なにしてんの!」今までの努力は!?と佐助が言うので、ご苦労さんと労った。佐助は「とほほ」と古臭い口調で呟いた。そうして佐助も、たった今抜いたばかりの雑草を地面に散らす。オマケに今まで抜いて集めていた雑草の山すらもを蹴って散らかしていた。私たちはいまだ子どものままなんじゃないだろうかと少し錯覚がした。
「虚しいねぇ」
「なにが?」
「なんだろうね」
「なにそれ」
散らばった雑草を踏みながら佐助は伸びをする。私はその死に逝く草たちを見つめて、こんな所に生まれたことを後悔すればいい、なんてことを雑草に対して思った。特に意味は無い。
「さっきの歌は萬葉集の歌だよ」
「ふうん」
興味のなさそうな佐助の腕を引っ張って自らの隣に導く。佐助は嫌そうにしながらも私の隣に大人しく座った。私は佐助の手に自分の手をかぶせたまま、目を伏せる。
ねぇ知ってる、佐助。この歌の上の句を。そう尋ねると佐助は、忍が文化に詳しいわけが無いでしょうと言った。それもそうだ。文化人の忍とか、いくら忍んでない忍の佐助でも新しすぎる。
「佐助にぴったりな歌だと思うの、」
呟いて目を開くと、佐助は全く見当違いの方向を見てぼんやりしていた。聞く気はないのか。自分から尋ねたくせに。思いつつもそれを口にすることなく、私もぼんやりと佐助を見た。
そういえば、雑草というのは名前のない草ではなく、私たちの知識が無いゆえに名が知られていない草だという話をどこかで聞いた。ここで死んだ草たちも、名が無いのではなくただ知られぬだけだろうか。たとえ美しいとしても、知られないが故、他の花の為に殺されるのだろうか。
佐助が手のひらで弄んでいた名も知らぬ花を放り投げるのをみて、ふと昔を思い出した。
「・・・そういえば昔もこんな風に月見をしたね」
「ええ?俺様覚えてない」
「佐助は始終嫌そうな顔してた」
「どうせ無理矢理つき合わされたんでしょ」
「当たり」
独眼竜に教わった、南蛮の言葉の「ビンゴ!」というのを使ってみようかと思ったけれど、佐助が嫌がりそうなので止めた。佐助と独眼竜は何故あんなにも馬が合わないのだろう。似ていると思うのだけれど。
「昔、ねぇ・・・に苦労させられた思い出しかないや」
「なんか佐助、言う事が年寄りくさいよ」
「ちょ、だからそういうこと言わないでって!」
足元の花を踏みしだきながら、私も昔のことを思った。

幼い頃の話だ。佐助がまだ私を疎ましい子どもだという扱いしかせず、適当にあやしたり遊んだりしていたような頃、私はそんな佐助の目の前で泣いたことがある。その頃の私は佐助が私を鬱陶しがっているとも気がつかず、ただ大人で優しく面倒見の良い佐助は私を慰めてくれるだろうと思っていた。そうして、それを狙って泣いた。なんとも可愛くないことだと思う。そんなことはどうでもいい。ただ、その日佐助は少し怒っていた。表面上も優しくなかった。慰めてくれない佐助に私はキレて、傍にあった花瓶を投げつけた。今思うととんだ八つ当たりだ。・・・そしてその私が投げつけた花瓶を、佐助は当然の如く避けた。花瓶は花瓶らしい音を立てて割れた。私は皆に怒られると思ってまた泣いた。すると佐助は苛立ったのだろう、子どもには残酷すぎる方法で私を泣き止ませた。つまり、刃物を突きつけて泣かなければ刺すぞと、脅したわけだ。あくまで笑顔で柔らかく。そして私は泣きやんだ。佐助は刃物をどけて、割れた花瓶の破片とそれに挿していた名前も知らない真っ白な花を持ち上げて言った。泣けるからっていい気になるなよ、泣けないこの花のほうがアンタよりよっぽど価値があって賢くて、こんな花瓶に挿されずに生きるべきものだったのだ、と。佐助の手は花瓶の破片を握り締めたせいで血塗れだった。それも気にせず佐助は淡々と割れた花瓶の処理をして、去っていった。
・・・佐助のそれは正しい言葉だったけれど、子どもに対しての言葉としてはあまりに残酷だ。当時の私は直ぐに佐助を恐怖の対象とした。佐助にとっては鬱陶しい私が近寄って来なくなってありがたかったようだが。
そしてそんな私が少し成長した頃、気がついた。
佐助は別に花瓶の花を憐れんでいたわけではない。泣けない可哀想な存在とは、きっと佐助自身のことだった。そして、泣くだけの私が気に食わなかったのだと。それだけの話だ。
その翌日、穢れ無き白い花はぐちゃぐちゃに潰されて庭の隅に葬られていた。もうとっくにこの庭の土と混じって朽ちただろう。

「あーあ、佐助とこうするのも今日までだね」
「・・・」
「佐助、死んじゃうんだもんね」

言うと佐助が肯いた。肯きながら、そんなことは口にするものじゃありませんと軽く怒った。説得力の無いことだ。
「でも負け戦なんでしょ」
「だから、・・・負け戦でも行かなきゃいけないときがあるでしょ」
「そうね」
ほら、佐助だって負け戦だと思っているじゃない。そう言うと、佐助は眉を顰めて呆れたような顔をした。私は笑った。
「もー、ちょっとは泣いてくれないの」
「私が?佐助が泣かないのに?」
「俺様が泣くの?忍なのに?」
「そう、忍だから。最後に泣き顔くらい拝んでおきたいなと思いまして」
佐助はとても嫌そうな顔をした。馬鹿なことを言わないの、とまたお母さんのように私を叱る。すみませんでした母上、と言うとまた佐助は最上級のしかめっ面を見せてくれた。
「アンタはホントに・・・・!!」
「ハイハイ、まあいいよ。行ってらっしゃい。私が行くまで川のほとりでちゃんと待っててよ」
降参、と佐助の肩をすくめる動作を真似る。佐助は目を細めて、苦笑のようなそれでいてどこか懐かしむような表情をした。きっと佐助は今の私にびーびーとやかましく泣いて欲しかったのだ。私はそれに気が付いていた。佐助がこんな顔をするくらいだ、さきほど口にした言葉は冗談風に誤魔化した本音だったのかもしれない。が、残念ながら期待には応えられそうに無かった。
(涙くらい、出ると思っていたのになぁ)
私も昨日まではそうするだろうと思っていた。自分はそれこそやかましく泣いて佐助を困らせるのだと。困らせてやろうとさえ思っていた。だがいざとなると、何を思えばいいのかも分からない。瞬きをしても水分の欠片も感じられない。これが最後というものだというのだろうか。へらへらしながら嘘を取り繕ってばかりいた、佐助と私の最後だというのか。
「ま、気が向いたら帰ってきますよ」
「じゃあ気が向いたら待っているわ」
「ええ!?ちゃんと待っててよ!」
「そんな不確かな帰りなんて待っていられるはずがないでしょ?」
私たちに相応しすぎるだろう。そんなの。

「・・・・・・じゃあね、おやすみ」

重ねていた手を離して障子に手をかければ、誤魔化しばかりの私たちの会話は終わり。佐助は明日になったらいなくて、私はそれを感じてようやく泣き喚くだろう。佐助は佐助で何もなかったような顔をしてあの負け戦に参加し、命を散らせるのだ。それはそれはあっけなく。きっと佐助もそんな最後を望んでいる。

そう、思っていた。

「違うんだよ・・・」

さきほどまで誤魔化すようにしか笑わなかった佐助は、急に真面目な顔で私の腕を掴んでいた。
「・・・吃驚した。珍しく真面目な顔ね、佐助」
いつもそんな顔をしていればかっこいいよ。と言えば、佐助はそんな冗談にも付き合わずに首を横に振るばかりだった。本当にらしくない。佐助はどうしたというのだろう。
「なに、今だけ私に本音でも言ってくれるの?」
「言わ、ない」
「・・・そう」
いつも茶化すように笑って誤魔化すくせに、今はどうして誤魔化してくれないの。
馬鹿ね、佐助。こういうときに使うために、貴方の嘘っぽい笑顔はあるのよ。
「じゃあせめて、今日だけは同じ月でも見よっか」
「いやだ」
・・・いやだって、そんな。
佐助のそんな本音を聞いたことが無い私は、心の底から驚いてしまった。
彼が、このように否定の言葉を紡いだことがあっただろうか。
も、全部いやだって言いたくなるくらい哀しんでくれよ」
「あはは、佐助からそんな重たいお願いされたのは初めて」
「・・・こんな嘘っぽい軽い別れは嫌なんだよ」
いつもの佐助らしくないね、未練がましくて。普段の貴方なら、そんなことを言わずに笑いながら私と別れて、いつの間にか帰ってきて、俺様帰ってこれて嬉しい、なんて言いながら泣きまねでもするというのに。
ああ、そうか。もう帰ってこないから、いつもと同じではないのか。

「じゃあ佐助はどうしたいの」
「今日だけ、」

「今日だけこうさせてよ」

気がついたら月は全く見えなくて、視界は真っ黒。ああ、これは彼の服だ。少し硬くて、染み付いた血の臭いしかしない服。個々の人間特有の臭いはない。なぜなら彼は忍だから。体重を預けたまま目を閉じる。
「佐助、月がどうして満ち欠けするか知ってる?」
「知ってるよ」
俺様と同じだからね、と佐助は少しだけいつもの調子を取り戻して、明るく言った。
「月はね、生きていても虚しいから生き返っても直ぐに死ぬんだよ」
「なに、佐助は虚しいの」
「虚しいよ。相変わらず冷たいアンタの体温を変えてあげることすら出来ないのが」
「・・・月はそんなことで死なないよ」
「じゃあどうだっていうの」
「世のなかは空しきものとあらむとぞ」
「なに、それ」
「さっきの歌の上の句」
「結局それ、どういう意味の歌なの?」
「意味は・・・」
意味は、私たちにこの世が虚しいものであると教え諭す為に、月は満ち欠けするのだと。そんな話だ。世の中の虚しさを詠った歌だから、佐助のいうこともあながち間違っているとは言えないだろう。だけど、佐助がこの歌を知らなくて良かった。この歌は佐助と私に相応しすぎて、泣ける。

「意味は、・・・月は優しいねってことよ」

嘘ではなかった。最初からこの世が虚しいと教えてくれるのだ、優しいに決まってる。でもその優しさはたぶん、佐助のものと同じ。残酷な優しさ。だから私は月が美しいと思うと同時に憎らしいと思う。どうせ佐助がなくなった後も空に昇っては落ちて、その優しさで佐助を思い出させるのだろうと、そう思うからだ。そうして佐助の言う通りなら、美しい月はこの虚しい世界が切なくて何回も自殺するのだろう。・・・私もいつか同じようになってしまいそうで、少しだけ怖い。

佐助は私のとても優しい話を聞いて、ふぅん、とどうでもよさそうに言った後、私の肩に顔を埋めた。
「ねぇ、泣いてもいい?」
私は笑った。
「いやだ」





歌語り提出作品/草暦
背景提供元(青柘榴

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