「俺様ね、好きな子がいるんだ。だからごめん」

前田以下数名に焚きつけられて決行に至った告白は、そうして終わった。数多くの人間に告白されてきた佐助の、使い古した定型文のような嘘くさい台詞だったが、その真偽は特に重要でない。どちらにせよ受け入れられないという答えには違いないのだ。

私には恋という物がいまいち分からない。好意を抱いている人間は居れど執着ではない。親しい人間だとて、いつも傍にいるようでは飽きもするしうんざりするだろう。お互いが会いたいと思うときに会って話したいときに話す、それで充分じゃあないか。
独占することによって何が生まれる。付き合うだの結婚するだのには利点を感じられない。傍にいることを当然としてしまったら離れたいときに嫌な柵になるだけだ。仮に特定の一人を大切にしたいと思う日が来たとして、毎日家に帰るたび同じ人間と顔を合わせていては疲れるに決まっている。
そういう考え方だから、人を好きになる行為を称えはしても、その一歩先を行くと現実という奴が気にかかって仕方がなくなってしまう。

「そりゃあアンタ、本当の恋をまだしていないのさ」

なるほど前田の言葉には説得力があった。恋愛馬鹿だからこそ知識として信じるに足る。
その人のことを考えると飯も喉を通らなくなって、笑顔を見るだけで幸せになって、一挙一動に一喜一憂し、キスをしてみたくなったり、抱きしめたくなる。それが恋だというのなら、確かに私は一度も恋に落ちたことなんてない。

「恋ってなんぞや」

まさにこれである。

「言ってしまえば、所有欲の延長みてーなもんだろ」

可愛い女の子をとっかえひっかえしている伊達に言わせればそうらしい。身も蓋もない理屈ではあるが、綺麗なものを集めたくなるという意味で見れば納得できる。
そしてその意味で見るなら、私が佐助に恋をしていたとは言いがたい。
物を所有するのはどうにも好かない。片付けをするのが面倒だし、本当に必要か考えればおのずと持ち物は減る。引越しをするときに面倒でない程度にしか買い物はしないし、大概はウインドウショッピングで充足している。消費社会から見れば嫌な人間ではあるだろうが、欲しいと思ったものも放っておけばいつしか忘れていく。無くても事足りるからだ。
物欲がないのとは違う。所有するのが苦手なだけだ。

「恋ってなんぞや」

無くても事足りる。必要なのはスーパーの食品売り場くらいだ、と思う。
消費物ならいくらでも物欲のまま買えるのに、とも思う。
ふと飲みたくなった野菜ジュース、それに安くなっていた魚肉ソーセージなんかを買って、スーパーの袋をがさがさ言わせながら帰る、それが充足。
壊れない限りあり続けるものは大変だ。

は写真だろうと思い出の品だろうと簡単に捨てるねえ」

そうかもしれない。
けれど、持ち続けるのも面倒だ。

「餃子のタレは使うまでずっと置いているのに。執着すべきものを間違っているんじゃないか」

執着しない訳ではない。欲望がない訳ではない。手に入れた後のことを考えているだけだ。
いつきが青空をカメラに収めていたとき、私はそれを眺めるだけだった。綺麗だと思わなくなったときに捨てればいいだけの話なのだろう。だが、持っていなかったとして困るとも思えなかった。
そういうところが駄目なのかもしれない。
手に入れて、所有して、手放す。そこまでを想像で消化し終えてしまうから私は駄目なのかもしれない。
スーパーからの帰り道に見つけた満月は驚くほど大きく綺麗だった。形として得てみるのも良いだろうか――考えて、丁度公園の傍だったから、風化しかけのベンチの上に荷物を置いた。ケータイを空に向けて翳せば、作動したカメラが画面に月を映し出したけれど、そうしてみると小さく味気ない。ただの光っている丸い物体にすぎなかった。
所有欲。果たして充たされるべきものか。

「私は佐助が欲しくて告白した訳じゃない」

佐助は良い奴だった。一緒にいると楽しかったし、話題はいつだって自然と弾んだ。宿題を忘れれば助けあって、掃除の時間には教室の端で箒と紙クズのホッケーをしたりして、授業で居眠りをしているのを小突いたり、置き傘を盗られた雨の日に雨宿りしがてらしりとりをしたり。言い尽くせないほどの細々とした出来事はビイドロみたいに澄んでいて、過ごした日々はそれを詰め込んだ瓶みたいにきらきらとしていた。

「じゃあどうして告白したの」

いつの間にか佐助は公園内に居て、電灯に寄りかかりながら片手を上げて挨拶した。口元を隠していたマフラーを左手で少し引き下げて、私と同じように荷物をベンチに置いた。
私がケータイを閉じると、「綺麗には撮れなかったでしょ」と可笑しそうに笑う。それからブランコに座った。佐助は人工芝生の削れた部分を靴でなぞるようにしてから、どっかりと体重を預けて「あーーー」と息をついた。

「俺様のこと考えてたの?」
「うん」
「そっか」
「野菜ジュースいる? 紫の野菜のやつ」

佐助が頷いたので私は紙パックを緩く投げ渡した。それから、佐助の正面より少しずれた、丁度ブランコの支柱に向き合うの位置で、周囲の低い柵に寄りかかった。私も野菜ジュースに口を付けた。きいこ、きいこ。鎖が音を立てる。ブランコは佐助の身長に合ってはいなかった。

「告白した相手に、随分と普通に話すねえ」
「振った相手に、随分と普通に話しかけるね」
「そうだね、でも俺様、アンタのことが結構好きだったんだ」

佐助に振られたとき、私は少しほっとしていた。雨は降ったけど傘を持っていた、のような安堵感を得ていた。
それを見抜いていたのだと思う。
私が振られたと報告しに前田たちのところへ行った時、前田と真田は精一杯私を励まそうとしたが、伊達は随分と冷めた表情をしていた。

「お前、本当は佐助と付き合うために告白したんじゃねーだろ。本当は、佐助に振られても大丈夫なことを確かめたかったんだろ」

私は心を突かれた。佐助に振られたその台詞よりも。

「手に入らないことより手に入れてしまうことを恐れてんだ。付き合いきれねーよ」

例えば佐助が私と付き合ってくれることになったとして、それは長続きしなかったろうと思う。私は佐助を自分の物にしたいとは思わなかった。佐助が私の為に私の手を握り私の唇に触れて私の身体を包み込むようなことは、起ころうが起こらまいが関心は殆どなかった。

「恋ってなんぞや、佐助さん」

外灯が明滅している。佐助はストローを銜え、ちびりちびりと野菜ジュースを口に含んでいた。

「私は佐助と付き合いたいとか、そういうことを思っていたわけじゃあないんだ。佐助と恋人繋ぎをして歩いたり、触れ合うようなキスをしたり、強く抱きしめあったり、そういうことをしたかったんじゃない。私はただ、佐助の傍にいる許可が欲しかった。ふざけて飛びついたり、頬を抓りあったり、購買のパン競争の為に手を引いて走ったり、雨の日に一つの傘で帰ったり、そういうことを憚らずにできる権利が欲しかった」

恋は煩わしいとさえ感じていた。そんなに盲目的にならなくたって佐助という人間を好きになっていたっていいじゃないか。触れたいと思っても、じゃれあいのような戯れも、私にとっては本当でも他人にとっては足りないと言う。ずっと傍にいる義務があって食事を毎日作って同じ家に住んで挨拶してなければそれは成就した愛じゃないらしい。どうして。そんな面倒なことをしなくたって一緒にいることはできるし人を好きでいることはできる。恋という枠組みさえなければ私はそれを誰に引け目を感じることなくできた。義務にさえしなければ、時折する戯れとしてなら極上の営みですらあっただろう。だが、周りはそうは感じない。所有し所有されあわなければ恋愛は成立しない。

「前田流にはこれは恋ではないんだって。本当の恋には足りないんだって。私はこの思いを、感情を、別の何かにまで育てなければいけないのかなあ」

ジュースのパックを右手に持ったまま佐助は項垂れているように見えた。ただ、俯き加減であっただけかもしれない。外灯の光が弱いから、余計に影に包まれて見えただけかもしれない。
やがて少し傾いだ顔を上げて、細めた目と口元の小さな笑みを見せた。造形は笑顔であるのに、そう呼ぶには不完全で、煌いた薄い色の瞳には愉悦も快楽もなく、かといって悲哀もない、ただ一抹の寂しさを感じさせる。銀河を駆けていく列車の切符を切るときのように、空をそのまま映す鏡のような湖を割るときのように、綺麗に写らなかった満月の写真を破くときのように。
背を丸めて座り込んだその膝の間、パックさえ落としそうな握力の右手をだらりと垂れている。

「それは友達じゃあ駄目だったの?」

柔らかそうな唇を薄く開き、佐助はどこまでも優しい声で言った。

「私はそれで良かったんだと思う。でもきっとそれじゃあ駄目なんだ」

紙パックが落ちた。佐助の右手から滑り落ちるようにして人工芝生の上に落ち、僅かに残っていた水分を滴らせていた。
それと同時に、ガシャン、とブランコが投げ出されるような音がした。すぐ後に、佐助は私を上から覆うように抱えこんだ。私の鼻は丁度佐助の右肩に押し付けられていた。目は、佐助のマフラーとコートの一部しか映せない位置にある。

「飛びつくのなんか、簡単なことなのになあ」

佐助は何故か泣いているようだった。
誰も乗っていないブランコが反動のままに揺れ動く音がしていた。

「本当だ、簡単だね」
「でしょ」
「うん。はは、ぎゅーってしてあげようか」
「したいって言ったのはアンタじゃん」
「違うよ。抱きしめたいってのとは違うの」
「何が違うの」
「楽しいことをしたかったのさ」

本当の恋に満たない感情は贋物なんだって。
この世には本物と贋物しか存在してないんだ。贋物じゃないものは本物だし本物じゃないものは贋物になる、そういう理屈でできている。だから私の拙い思いはどこにも行き場はなくて、形も名前も与えられずに未熟なものとして切り捨てられるべきもの。佐助は佐助を愛してくれて佐助の傍にずっといたくて抱きしめて欲しくてキスもして肩が触れ合うような距離で歩いて時折手を繋いでいたいと思ってくれる人を運命ってやつが与えてくれるからそれを愛して付き合って結婚して小指を繋ぎ合せてそういう幸せに行き着かなきゃいけないんだ。それが本物なんだ。ウインドウショッピングで充足する私はそれを見つめでもしていれば良いんだろう。無くても事足りる。所有なんかできない。

「アンタは臆病だ。でも、俺様もそれを責めることなんて出来やしないんだろうさ」

学校の屋上は寒かったけれど佐助と見た空は綺麗だった。返却されたテストを丸めて真田とキャッチボールをしていたら佐助は途中でパスをあっさりとカットしたから点数を見られて恥ずかしかった。ファーストフードをがっついていたら健康を心配してくれた。バッティングセンターに行きたいと駄々を捏ねたら付き合ってくれた。帰り道に拾った紅葉を厳選してノートに挟んでいるのを見て栞を作ろうかと言い出した。ジャージ姿で特売のカップ麺を選んでいたところを目撃されて次の日に学校で笑われた。駅のホームで傘を振り回してゴルフをするサラリーマンごっこをした。伊達にスカートを捲られたけどスパッツを履いていたから放っておいたら恥じらいを持てと説教された。初詣で偶々出会ったから一緒に神社でお祈りをした。雪道で滑ってこけたとき引っ張り起こしてくれた。佐助は良い奴だねと言うと照れて誤魔化した後でそっぽを向いてありがとうと言った。でもそれじゃあ駄目なんだ。

「手に入らないものを諦めた。臆病だったんだ」

でもそれじゃあ駄目なんだ。





(臆病の二乗//120701)

"他に"好きな子がいるんだ、とは言わなかった佐助がミソ


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