福田ねこが教室の窓際に佇んでいる。今朝切り出された笹を見下ろしているらしい。
夕暮れの前のぼんやりとした光が教室の中程まで差し込んでいて、影ははっきりしない形で床に溜まっている。福田ねこは、動かない。
「行かないの」
「あ、右甫くん」
窓にくっついていた額が少し赤い。福田ねこは右手に短冊を持っていた。俺はそれを指差した。
「もう皆行ったよ。相変わらずトロいねえ福田さん」
「あー、うん、そうなんだけど」
渋い顔で福田ねこは頬を掻いて首を傾けた。福田ねこの首はよく傾く。
「なにを書こうかなぁ」
へらりと安直な笑顔をする福田ねこの視線が、不意に俺へと向けられる。ああ、左甫のことを思い出している、とすぐに分かった。仕事柄鍛えた観察眼のせいとはいえ、毎度気付く自分にもいい加減嫌気が差している。しかし彼女を責めるのもお門違いだろう。同じ顔をしている左甫が悪い。
かえってきますように、とでも書けばいいのにと思った。去年も頭の悪そうな字でそう書いていた。観察していた俺はそれをよく知っている。
福田ねこはまた窓ガラスに額をつけている。夏の濃緑がガラスに映って、窓際に差し込む光が色付いている。福田ねこの子どもっぽい頬にも少し映っていた。
「織姫と彦星は、どうして分かたれてしまったのだっけ・・・・・・」
「仕事をサボったからだろ」
「そ、そうだっけ」
俺の身も蓋も無い解説に福田ねこの表情が鈍くなる。横に引き延ばしたみたいに変な顔。
今の俺みたいに正確の悪い笑顔を浮かべたことなんてないんだ。
「仕事せずにいちゃこらしてた二人を川で分断した上で『働いたら一年に一回会わせてやるよ』と言いつけ、二人を体よく働かせた天帝の手腕を称える話だぜ。ロマンチックと思える頭がおめでたいね」
「・・・・・・説明に悪意を感じるような」
窓の下で、生徒が思い思いの位置に短冊を結んでいる。荒木狐タ郎と柴乱マルがてっぺんを取り合ってじゃれ合いを始めた。そのうち綿抜先生が仲介するのだろう。けらけらと、なにが楽しいのかもわからない笑いだけがガラス越しに聞こえていた。
「みぃ子ね、」と福田ねこが言った。「短冊、書いたんだけど。・・・・・・つるしたかな」
「へえ、見てないんだ?」
「うん・・・・・・」
「叶わなかったから?」
福田ねこが睨んできた。俺はにっこりと笑ってやった。鈴原みぃ子は人間になりたかった。鈴原テルオが死んでいることも理解しないで。
「くだんね。みんな『人間になりたい』でいいだろ。叶えば揃って卒業だ」
「・・・・・・右甫くんは人間じゃん・・・・・・あたっ」
「ばらしたら殺すって言ったよな」
福田ねこの額が俺のでこピンとガラスで二カ所赤くなった。ううう、とうめき声が上がるのを無視して、彼女の手から短冊を奪い取る。ピンクの色紙でできた短冊には鳥居だけがかかれていた。そういえば去年も書かれていたな、鳥居。なんの願掛けなんだか。
福田ねこはずるずるとガラス窓を滑り落ちて、それでも磁石みたいにひっついたまま、俺の手元を見降ろしている。
「右甫くんは何を書いたの?」
「アハハ、福田さんは、俺がこんなあやふやな物に願うと思うのか」
「思わないけど」
「あ、今ちょっとムカついた」
「でもテストとか、みんなに合わせてたでしょ。去年も短冊、書いてなかったっけ」
「ああ、そういえば書いたな。福田ねこがどこかへ行きますようにって」
「ええー・・・・・・」
書いてないけど。問題になるし。
ちなみに左甫の短冊は身柄を引き渡すときに俺が部屋から発見した。何も書かないくせに捨てられもしないで、引き出しに閉じ込めた願いごと。あまりにらしくて笑ってしまった。俺は左甫のそういうところが嫌いだ。
「今年はどうしようかな」
「ちょっと、それ、私の短冊・・・・・・」
荒木狐タ郎の机には筆箱が入ったままだった。俺はそれを拝借して、福田ねこの短冊にサラサラと鉛筆を走らせた。
福田ねこがようやく窓から離れて、文面を覗こうとする。
文章を読むときに口にも出るし顔まで動くのだから、頭の悪い奴は大変だ。
「織姫と彦星が会えませんように。福田ねこ・・・・・・うわっ字似てる。なにこれ」
「じゃあつるしてこよっと」
「え、ええー!? なんで私の名前!」
「みんな真剣に願い事書いてるのになあ。それを壊すようなことをして。福田さん最低。アハハ」
「アハハじゃないって! 性格悪いのは右甫くんじゃん!」
「そうだよ?」
福田ねこの攻撃を軽くかわして教室の扉へ向かう。福田ねこがあわあわして追いかけてきた。ざまあみろと思った。ざまあみろ、左甫。今年の福田ねこの願い事はお前じゃないんだぜ。





(デネブの短冊//150708)

はこぶね白書/右甫とフネ
左甫が連行された後。左甫がかえってこなければいいのにと思ってる右甫。
短冊の願いが叶えられたのは鳥居を書いたからだろうなって思った。


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