毎年年末になると、どこから聞きつけたのか、クリスマス休暇で帰省する前にと誕生日に祝いを述べてくる連中が居たものだが、六年度にもなれば、わざと見せた境遇の影が浸透してそれもなくなった。
「本当は考えたくないんだ。その日は、母が……」
そして僅かに睫毛を震わせた後、にわかに微笑すれば、あとは僕のファンとやらが不文律を作り上げてくれる。ああいった連中は煩わしいが、利用も容易い。これは孤児院でもやった。お誕生日会という反吐が出る行事が申し訳程度にあるのだが、その日は小さく固いケーキが全員に配られて、皆で祝いの言葉を述べなければならない。僕はその行事の存在を知ってすぐ、ヘルパーの前で目を覆ってやった。
「どうしても思い出してしまうんです。誕生日というだけで、同じ日に、と考えて」
ヘルパーは僕の不参加を許した。僕はこれ幸いと会を抜け出し、海洞窟で一日を過ごした。ある時は、皆が喜んで欲しがるケーキというのを盗んで来て、そこで齧った。乾燥した果実を練り込んだ固い小麦の塊に、糖蜜を塗りたくったものだ。一口含むだけで口の水分を奪われ、ただひたすらに甘い。失望して、洞窟内の湖に投げた。死者が底で蠢く呪われた湖だ。ケーキはふやけた表面の一部を水面に浮かべ、沈んで行った。やがて死者の腕が何本か蠢いて、ケーキを底に引き込んでいった。あれらはなんであろうと求めるのだ。例えそれが甘いだけのケーキでも――。僕は声を上げて笑った。ああ、まったく、なんて相応しいプレゼントだろう。死を自らに迎え入れるような愚か者には、確かに、相応しい味だ! ここは僕の憎しみの羊水。縊り殺してやったジョンの飼い兎も、自殺したヒステリー女教師も、僕の愚かな母親も、この水の底にいる。死という罪を罰されて永遠に乾き、求め、ふやけたケーキを食べる!



「甘い物はお嫌いで?」
アブラクサスが柔和な笑みで、胸に手を当てながら礼をする。パーティの主賓のため、テーブルを回り歩くのだが、その起点に僕のテーブル選んだのだ。そういう、あからさまなへつらいを自覚してやるところがこの男の悪質なところである。
「嫌いではないよ。ただ、ケーキの甘さは安直だ。好む理由もない」
儀式の色が濃いブラック家当主の誕生日パーティとは違い、マルフォイ家のパーティは豪華絢爛という他ない。栄華を「与えられた」貴族と揶揄されても、その繁栄は確かであった。広大な土地、贅を極めた食事の数々、煩いくらいに刺繍された衣装、調度の整えられた屋敷、巨大な絵画彫刻、と権力の博覧会である。賓客は各々ドレスの高級さで張り合い、前途有望の若き貴公子に取り入ろうと必死だ。王族に取り入った一族に、さらに取り入ろうとする低級貴族……。醜い食物連鎖のようだ、と内心侮蔑する。だが、そのアブラクサスが「ご執心」である自分がこのパーティでその存在を示すこと自体は、悪いことではない。
貴族の一人がケーキの味を褒めるのを、薄く笑いながら流し見た。
アブラクサスは丁寧な仕草でワイングラスを傾け、僕の視線を追う。
「しかし、かつては月の神へと捧げられた供物としての安直さです。今となっては、神への誕生ケーキよりも人へのケーキの方が高級ですけれどね」
「はっ、」僕は角度に気を配って顔を歪めた。「餌と供物の区別もつかないか」
アブラクサスはにっこりと笑みをたたえる。グラスを掲げていた手を降ろし、自然な動作でテーブルに置いた。音はテーブルクロスに吸収され、一つの曇りもないグラスが燭台の灯に晒される。
「では僕も一つ安直さに則ろう」
「それはそれは。一体何をなさるので?」
「例えば――」
おもむろに手に取った食事用の銀スプーンで小さな円を描く。途端、足を掬われた貴族がバランスを崩して倒れ、その手のワインがアブラクサスに掛かった。遅れて、悲鳴が上がる。「ご生誕の祝儀になんてことを」「なんと不吉な……!」貴族の顔からは血の気が引き、唇が震えている。アブラクサスの白に金刺繍のドレスローブには、赤い染みがべったりと付いていた。
「……おやおや」
アブラクサスは微苦笑する。僕は気遣うふりをして耳元に口を寄せた。
「例えば、殺したいやつを我々の敵にすればいい」



毛の長い絨毯に低級貴族の死体が転がっている。数か月前のパーティで面白いくらいに青ざめていた顔は、更に白くのっぺりとして、影が際立っている。あの一件以来坂を転がるように落ちぶれ、今ではしもべ妖精もなく、低レベルの生活をしていたらしい。庭は低木で荒れ放題、暖炉には煤がこびり付き、食料庫の床は粉で汚れている。自分たちの生活空間だけをギリギリ保って暮らしていたのだろうと分かる偏った清潔さと、かつての財が分かるだけの広大な広間。暖炉で燃える薪は少なく、凍てついた空気は何も変わらない。ただいたずらに火花を飛ばすだけだ。そして卓上のケーキ! クリスマスは五日前に終わったというのに、まるで庶民のように、日持ちするよう作ったケーキを細々と食べていたのだ! これには笑ってしまった。
死体の頭を蹴ると、今更唇から血が流れた。衝撃で皮膚が割れたらしい。ふっと口から息が漏れた。折り重なって死んでいる娘の顎に優しく手を掛ける。
「苦しかったか? 日に日に無くなっていく財の中での慰め合いはどうだ? 父の犯した罪は分かったか? おまえの父が口車に乗せてゴーントから巻き上げた金での生活の幸福さを思い出したか?」
手を離すとカクリと顎が落ちた。あとは、魂を損なった死体特有の乾いた瞳が虚しく空を見ている。
それらが良く見える位置の椅子を引いて、浅く腰掛ける。組んだ手を机に置き頬を掛けると、ケーキの甘い匂いが鼻孔を掠めた。一切れ手に取ると、砂糖質が不快に指に絡んだ。そして、それを、食べる。それはホグワーツで食事をするときのような作法ではなく、孤児院の頃の、粗野な、飾りのない行いだった。
十数年ぶりに口にしたケーキは下品に甘い。無論分かっていたことだ。こんなものは、積み上げたぬるい記憶で味付けされているだけの餌。
「……湖のやつらに食べさせてやりたいね」
不思議と、険のない声だった。まかり間違っていたら、微笑みの一つも零していたかもしれない。やがてその年最後の朝日が窓に掛かった。僕の意識は幼い記憶の時にあった。僕の唯一の生誕パーティ、そのケーキを欲しがった賓客共。





(死とケーキ//151231)



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