殺した理由は、自分でもよく理解らなかった。
彼女の閉じられた双眸を見、その睫から白い頬に落とすように指を滑らせても実感が湧かなかったほどだ。
あくまで理性的に殺人という手段を取っていた僕は、その時初めて人を殺したような錯覚に陥った。いままでのは同族殺しなどではなく、肉を食べるのと同じで、僕はそれを生きる延長としてしていたのではないか。そう思った。果たしてそれは正しかった。
趣味であったわけではない。使命とも思ってはいなかった。それは仕事に近い生命活動で、僕は殺しを必要としていた。
そしてそこには当然の疑問がある。
僕はなぜそうしなければ生きていけないのか?


「必要とすることは依存することです。ですがそうしてしまうのは、自らにとって大切な行為だからなのです。それは生き方にも同じことです。欲しているものを自ら理解して、正しい方法を選択せねば人は道を違えてしまいます。」


ふいに甦ったのは孤児院に居た頃の記憶だった。
年老いたエプロン姿のヘルパーが、騒ぐことしかできない煩わしい子どもに尤もらしく語ったことだ。
癖というのは、自らが奥底で必要としていることが行為として現れるものなのです。貴方は爪を噛む癖がありますね。そしてそれを自分で必要としている。依存しているのです。
確かそんな前置きの後に発されたもので、ボロボロにされた彼の爪を撫でながら微笑んでいたはずだ。
ヘルパーはことあるごとに気取った言い方でどうでもいい道徳話を飾る。美しい言葉を使っている気になって自己陶酔しているその顔は驚くほど醜く、侮蔑以外の感情が浮かんだためしがない。言葉に力があるとして、伝える者に届かぬのならそれは無力だ。

少年はありがたいお言葉を受けとったにも関わらず、むしろその癖は悪化して一日中親指の骨を噛む生活を送っていた。僕が兎を殺した後辺りからだったろうか。よく覚えてはいない。瑣末なことは直ぐに記憶の海に溺れる。






僕には最古の記憶―――生れ落ちたそのときの記憶がある。
彼女の顔は美しいとは呼べぬ削ぎ落としたような頬で、痩せこけていて、目は落ち窪んでいる。肌が白いせいか逆に影が強く、死にゆく人か屍そのものだった。やがてその微動だにせぬ顔の中、口だけが蠢いた。父親に似ますように。瞳は何も捉えてはいない。
冷たいのではない。眼球にあるべき温度がないのだ。
何度も何度も繰り返される願いは結果として叶えられることとなる。そうして彼女は、僕を見ることも、僕についての願いを唱えることもないままに目蓋を閉じたのだった。






浅い眠りが波のように押し寄せ、最も忌み嫌う温度で僕を包む。






「それ、癖なの?」
彼女は白い肌が印象的な、悪く言えば色のない女性だった。
言葉を交わしたのはおそらくその日が初めてで、僕は彼女にこれといった印象を持ってはいなかった。
突然話しかけられた理由も判らず、聞き返す代わりに困惑を表せば、食べ物を見つめる癖、と女は口を歪ませて微かに笑う。どこかで見たような唇の動かし方だ。
「・・・言われるまで気付かなかったよ。そんなに見苦しかったかい?」
「いいえ。ただ、貴方のような人にも癖があるというのが意外だっただけよ」
そこだけをモノクロにしたように色彩がなく、僕には孤児院のなかでも一際幼い女の子が書いていた絵が思い出された。色種はあるのに色はない、絵心以前に欠落した落書きであったそれを。
思索に耽りながらもベーコンをフォークに載せ口へと運ぶ。確かに、自然と食べ物を見つめていたように思う。ひんやりとしたフォークが口内の温度に浸されて気持ちが悪い。
ふと伺い見ると、彼女はポテトサラダを食べているところだった。作法的には一切問題点が見られないものの、僕は胸が空くような思いがした。同じだ。食事それ自体に意味を見出していない、ただ必要な栄養を効率よく手に入れる為だけにしているような、無駄のない食べ方。
周りからは、グリフィンドール席から届く喧騒とは種の違う、囁くような声が押し寄せる。煌々とあかるランプは暖色であるのに、どうしてこうも彼女は白いのか、それが疑問であった。






「僕と付き合わないか。」
冬期休暇、ノクターン横丁で彼女と出会った時、僕は丁寧に挨拶した後にそう言った。
完璧な笑顔とともに壁に手をつけば、女はぽかんとしばらく口を開け放って、数秒を置いて閉じる。
「私は混血よ」
僕のつりあがったままになった口と緩く細めた目に、彼女は気がつかなかったようだった。
「魔法族だった父は家を出て行ったから、家もマグルよ」
「それは知っている」
吐き捨てかけたのをなるべく緩やかにして、安心させるようにと囁く。吐き気がして仕方がない。その愚図で頭の悪いところも、なにより穢れた血が中に流れているものに触れるのにも虫唾が走る。粛清してやりたいくらいだった。しかし、それをもっても僕はその目に引き込まれていた。笑っても温かみを帯びぬ、人間にあるべき温度が恐ろしいほどに欠如した黒い目。僕を見ても甘みを帯びぬ口元。
そういうものは滅多に見られるものではない。慕ってくる者は多くいるが、温く濁った汚らしい眼の連中が殆どで、まれに氷に近い眼をした者がいて、それが近臣になるくらいである。彼女はそのどれとも違う。どこまでも僕を惹きつける光を灯している。
そこに拒絶も受容もないことに、気付いてはいた。
そっと唇を押し当てて、するりと口内に舌を押し込む。彼女は微かな吐息を漏らして眼を閉じた。
「ん・・・・・・・・・・・」
耳に痛いほどの静寂を数秒過ごした後、接触していたものを離す。真っ黒な睫が震えながら上を向いて、僕の間近で眼球の上を滑りながら開いた。
「・・・どうして?」
依然として温度は感じられなかった。
零れた僕の呟きに、女は困惑している。本来なら彼女が問うべき質問であった。
「どうしてここまでしても僕を見ない」
僕は生まれながらにして全てを持っていた。容姿、才能、力、カリスマ性、そういった後天的には到底手に入れられないようなものを僕は何一つ零すことなく持っていた。僕が笑えば皆が心が洗われるようだと言い、美しいと賞賛した。何億に一人の逸材だとも言われた。忌々しいことだが、僕はその容姿においては父親とそっくりであったはずである。彼女が願ったように、僕は"そう"なった。願いは叶えられたのだ。
温度のない落ち窪んだ眼が僕を映している。けれど、見てはいない。白い肌は影を落としたまま、動かない。唇だけが蠢いている。
「・・・リドル、」
僕には最古の記憶がある。生れ落ちたそのときのものだ。
「この僕を代わりには出来ないというのか」
彼女の顔は美しいとは呼べぬ削ぎ落としたような頬で、痩せこけていて、目は落ち窪んでいる。肌が白いせいか逆に影が強く、死にゆく人か屍そのものだった。やがてその微動だにせぬ顔の中、口だけが歪められた。瞳は何も捉えてはいない。
「代わり、いや、違う―――それすらもおこがましい。この僕がいて、」
冷たいのではない。眼球にあるべき温度がないのだ。
「僕を眼に捉えないことがあっていいはずがないだろう?」
何度も何度も繰り返される願いは結果として叶えられることとなる。そうして彼女は、僕を見ることも、僕についての願いを唱えることもないままに目蓋を閉じるのだ。
ただ一人の思い出を抱いて。
「おまえはどこまでくだらない人間なんだ!」
「リドル、や・・・・・・やめて・・・・・・!」
悲鳴はひゅうと小さく唸りをあげた風と同種で、震えた口の端から漏れ出ている。僕にとっては、後はもう、普段の生命活動と何一つ変わるものはなかった。
急激に汚れてしわくちゃのゴミと化した人間に、全自動で掲げられた杖を向ける。女の足が震えて、石の床と靴が小刻みに音を立てているのが不快だった。僕の口からも彼女の口からも白い息が立ち上っている。
「アバダケダブラ」
先ほどまで触れていたレンガは彼女を拒否して、ゴツンと鈍い音を立ててその身体を跳ね返した。その跳ね方や力の抜け具合が糸の切れた無機物と区別がつかず、崩れ落ちたのはもはやマネキンと相違ないものであった。






生れ落ちた。その瞬間、溢れかえった感情はなんという名だったろう。
敏感すぎる肌が傷みを感じるほどの寒さで、まだよく見えぬ眼では間近にあったその人の顔しか見えなかった。
美しくはなかった。
心も動かなかった。
されど、僕はそれしか見るものがなく、仕方なしに見つめていた。
「この子が父親に似ますように。」
このとき、まだ言葉は知らぬ。音として身体に染み渡り、僕はそれを当然として受け入れた。
「この子が父親に似ますように。」
酷く喉が渇いて、何かを飲みたくて、飲むことさえ出来ればもう後はどうでも良かった。否、"後"という概念もなく、ただその瞬間が生であった。僕はそのとき、生きる為に生きていた。
「この子が父親に似ますように。」
初めて吸い込んだ空気は凍てつくようで、それは吐き出されることなくいつまでも僕の肺の中にあった。
「この子が父親に似ますように。」
僕は服を着せられる前のマネキンだった。








(ぼくにねがいを//111203)

リドルとメローピー
リドルが母親を他人に仮託して殺しているのではないかという突飛な妄想を形にしてみたもの。
リドルの真の願いもまた「僕を見てくれ」だったとしたらとても悲しい。
食べ物を見つめる癖は執着心の強さの表われらしい。
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