音楽は三曲目に差し掛かった。盛り上がりの為の激しい二曲目とは打って変わって、落ち着いた、どこか悲しさを思わせる澄んだ音の重なりがホールに反響している。
「リドル、あなた去年のパーティで初めてダンスを踊ったんでしょう」
黒い外套を翻してリドルは上手に笑った。
「よく分かったね」
「分かるわよ。あの家にパーティなどないし、練習にも参加していないじゃない。初めてであんなに綺麗に踊られたら、他の人の立つ瀬がないわね」
「見ていたの」
「ええ。他にも沢山の下級生が貴方を見に来ていたわ。知らなかった?」
右へと軽く踏み込んだ後のステップで、お互いの踵がこつりと音を重ねる。リドルは答えずに、チラリと私の指元に眼を落として、それから私の眼を覗き込んだ。覗き込まれているのはこちらであるのに、いつの間にか私の方が引きつけられている、そういう眼だ。
「僕が君に何を求めているのか、分かったかい?」
先ほどと寸分違わぬ発音で、「ええ」と応じる。長時間のダンスのせいか結い上げた髪の一部が頬に落ち、それを見たリドルは美しいよと言った。
名も知らぬ楽器のガラスのような音がメロディラインよりも澄み渡っている。舞台の端でこちら見ているダンブルドア教授の眼は、悲しげな光を帯びて潤んでいた。



***



猫を被るために猫の皮を剥いている姿を想像するのは難しい。そういった者は総じて、行為に及ぶ前に毛皮を着込んでいるものだからである。
「そんなに着込んで暑くない?」
既に着膨れしている状態でいても服を買い続けるのが人間なら、我々は衣服を得たときから動物でなくなったという見解もあながち外れてはいないだろう。
じりじりと肌を苛む暑さは直射を避けてもなお余りある。机に付いた肘に汗がつたった、その感触がいつまでも生々しく残っていて、今実際に流れているのかどうかもあやふやになってしまった。
リドルは本棚に並ぶ色とりどりの背表紙を撫でる手を一時だけ止めたが、視線をこちらに寄越しはしなかった。「別に」驚くほど簡素な返答は、他の女子が聞くことはできないであろう代物であり、レア度は高い。珍しいからとさして素晴らしくないものに付加価値を付けていると、めぼしいものが見つからなかったらしいリドルは結局なにも手に取らず席に戻った。私の斜め向かいである。そこが私と彼の定位置だった。
長袖から覗く真白な手首や、そこに浮く骨は標本じみている。その胸にふかぶかと刺さった針が彼を縫いとめて、ただの物質へと居直らせようとしている者がいるのではないか、そしてそれは所謂神という存在なのではないか――しばしばそんな空想に駆られるほどであった。
「・・・・・・溶けそう、ね」
リドルは長袖以外の服を着ない。
夏休みという区間をぽっくり開けているせいか、他の人々はそう違和を感じていないようだが。もっとも、私がそれを知っているのは、その休みに帰る場所が同じだからというだけだ。
「何が溶けそうって?」
君の脳みそならもうとっくに溶けてたと思うけど。そう言って、リドルは机に広げてあった羊皮紙をひったくった。そこにのたくっている私の文字を見て、彼は眉を潜める。今にも「やり直し」との声が飛び出してきそうな口の歪み具合であった。
外からは時折甲高い歓声が届く。近くで聞けば唸りのように聞こえるそれも、離れれば動物の鳴き声のようにしか聞こえない。おそらく、クディッチの試合が始まったところなのであろう。
全校生徒はそこに出払っているため、人口密度の差は著しく、ここ図書館には私とリドルしかいない。それどころか、校舎内に人がいるのかどうかも怪しいくらいだ。
リドルはその遠吠えですら気に障るらしい。かといって窓を閉めれば暑さが増すからと何もしないでいたら、彼はちょいと杖を振って窓を閉めてしまった。その代わりに部屋に冷却呪文を掛けたので、快適指数は急に跳ね上がる。ふう、と一息つくと「お礼くらい言ったら?」と彼は尊大な態度を取った。
「クディッチって、そんなに面白いのかしらね」
「さあ。僕はどうでも」
「私はそこまでは言わないけれど。でも、あそこまで熱くはなれない」
はたはたと本を振り冷気を首元へ送り込みながら追想する。昨日、上級生の女生徒に「絶対に見に来てね」と甘ったるい声で乞われ微笑んだ彼を思い起こすと、どちらが本物か迷うほどだった。
結局のところ、娯楽を楽しむことは楽しむために生きている人たちにしか出来ないことで、リドルには土台無理な話なのだろう。
もう一度彼の似非笑顔を思い起こしてみて、ふと思いつき現実のそれと重ね合わせる作業をしてみる。少し不快になっただけであった。
「ねえ、もうやめたら?」
幾度目になるか、使い古した提言を口にする。言葉はそのまま跳ね返って自らにぶつかった。もうやめたら。リドルに対しては効果のないそれも、私に対しては威力を発揮した。
「なんのことだい?」
「その猫被りのことよ、リドルくん」
今までオフになっていた優等生モードをわざわざオンにしてから聞き返したリドルに対して、私も稚拙ながら笑顔を繰り出してやった。リドルは節約だとでもいうようにすぐ笑顔の電源を落として、レポートを半ば放るように返してきた。「不合格。そのレポートはドラゴンの血の活用法についてであって、それを発見した人物についてでもないし、ドラゴンの生態について書くべきものでもない。途中から論点がずれている上に結論が破綻してる。しかも文体はちぐはぐで、引用したものの継ぎ接ぎだと明らかだ。最悪だね」これ以上ないというくらい貶して呆れを前面に押し出してくる。修正点を述べないところを見ると、もはや修正も効かないくらいクズだということらしかった。そんなにも酷かっただろうかと自分でも見直してみ、すぐに見解を改めて新しい羊皮紙を用意する。完成までには時間が掛かりそうだ。
羽ペンをインクに浸しながら、先ほど途切れた話の続きを始める。「6年のミス・ブリンダ嬢、まだ貴方に心酔しているそうよ。柔らかい物腰と類稀なる優しさが素敵だからですって」「へえ、そんなにユーモアのセンスがある女だったとは」笑いを一切含まない無表情が呟く。可哀想だなあと思ったのも一瞬で、ブリンダ嬢も私もそう大差ないことを思い出すにはその一秒足らずの時間で十分だった。
あるとしたら、彼が被っている仮面の五十枚目をみているか、四十八枚目をみているか、その違い。程度の低さは知れている。こんなもので天秤は揺れない。

冷却呪文の効果が弱まってきている。
もうすぐ夏が来ようとしていた。



***



私とリドルには距離がある。夜空の星と星が近くにあるようで何億光年と離れているそれに似ていて、出身が同じというだけで酷く間を置いている現状を揶揄したくなるときもある。
彼はあの孤児院を嫌悪していた。
理由は多々あるだろうが、私は彼が彼自身を特別視していることにあると思っている。要するに、彼は特別な人間で、だというのにあのような生まれを持っているということが受け入れがたいのである。もはやあの場所は、全てにおいて「切り捨てたい過去」であるのだ。子どもだというだけで生きる場所を選べぬ現状は確かに息苦しく、解脱したいものであったが、リドルのそれは私より遥かに強く、度を越えている。
時折、不安になることさえあった。彼は魔法という絶大な力であの家を壊すつもりなのではないか。そんな賢くないことをするはずがないとは思うのに、彼がケインのお気に入りの時計を執拗に蹴り壊していたシーンや、幼いリディアのぬいぐるみの手を引きちぎっていた光景に重なって、成長した彼がそのままに行動する様子が脳裏に生々しく描き出されるのである。どこか、ホラー映画を見ているときの心に似ていた。
私はリドルに惹きつけられているが、それと同時に恐れてもいる。
「ミス・。どうかしたのかい?顔色が良くないけれど」
一寸の隙もない笑顔に覗き込まれ、はっとして意識を取り戻すとそこは校内の廊下であった。穏やかだった日は色相をがらりと変え、窓に切り取られながらも赤々と廊下を染め抜いている。次に授業がないからとぼんやりしていたのを、教室へと向かうリドルが通りかかって発見したのだろう。脇に友人、もとい配下を従えながら笑顔を向けるリドルは外出用のお面を被り、立ち振る舞いを変え、私を他人としている。
今の私はリドルの幼馴染ではなく、"優しいリドル"を演じる彼を引き立てる道具に過ぎない。
「・・・・・・ありがとう、ミスター・リドル。心配には及ばないわ」
ぎこちない微笑みで彼の演技に乗ずると、彼は思っても居ないくせにほっと顔を綻ばせて見せて、「よかった」と嘯いた。
こういうときに露見する距離が、私には酷く虚しく思えてならないのだった。
彼は普段ほとんど私と関わりを持たない。そこに不特定多数の他人が存在するとき、私は彼の不特定多数にされてしまうのである。
「ミスター・リドル、」
「なんだい?」
もうやめようよ。喉まで込み上げて嗚咽のようにつっかえる言葉を、私は遂に言うことが出来なかった。「いえ、なんでも。引き止めてごめんなさい」普段からリドルを見ているせいか、笑顔の造り方は上達していて、今も上手く笑えたように思ったが、実際はどうであったろう。すっと横を通りすぎたとき、彼がこちらを見ていたと思ったのは錯覚だろうか。
「もう、やめたい・・・・・・」
夕日が立ち竦んだ私の爪先だけを掠めている。泣き出しそうになるのを止めるのは、もはや理性のみだった。
彼が忌み嫌う孤児院の人間たちと、私だけは違うなどと思い上がったことはない。それでも、期待を一切しないまま生きられるほど淡白なつもりも、なかった。
リドルは過去を切り捨てたがっている。
私は、その過去の一部だ。



***



「全く持って鬱陶しい女だよ。下手に地位があるだけの人間は関わるに値しないね。君も聴いていたかい?あの女、去年のクリスマスパーティに参加するのに利用しただけだっていうのに、今年は僕から誘われると思っているんだそうだ。参加できる歳になったからってね。どこまでも笑わせてくれるよ」
次のクディッチの試合の日に何事もなく図書室に現れたリドルは、あれから一度も言葉を交わしていないというのに何一つ躊躇わず、そのようなことを語った。これ以上ないというくらいに唇を歪ませた酷薄な笑みは、もしその矛先が私だったらうっかり涙を流しかねない代物で、私はなるべく感情移入しないよう聞き流す作業に没頭した。
あの女、というのはどうやらミス・ブリンダのことらしい。自意識過剰のきらいがあることは重々承知していたが、そこまで思い込むというのも一種の幸せの形に思え、いっそ心を交換してやりたい気持ちに駆られる。自分に閉じこもる人間よりも、自らの妄想に棲む方が幸せになれるというのは大体にして当たっている。
「それで、リドルはどうするの?」
「何をだい」
「ダンスパーティよ」
ああ、と得心してから、それはもう考えてあるよと投げ遣りに言ったきりで、リドルはそれに関して他に言うことはなかった。それを確認すると、私はわざと音を立てて教科書を閉じ、椅子を引いた。リドルが訝しげにこちらを見るのに構うことなく立ち上がる。そこに至ってようやく彼は口を開いた。
「・・・・・・どこへ行くんだい?」
私は勤めて淡白に「部屋」とだけ言った。リドルは立ち上がらなかった。他人がいれば口にするだろう「どうかしたのかい」という言葉は優しさを作り上げるときにのみ使うものなのか、今は一度も発されない。結局のところ、その程度なのだ。
「ねえ、リドルに私は必要?」
「突然何を、」
「わからないのよ」
堪らなくなって捲くし立てたのを、リドルは厭わしく思っているのか困惑しているのか、何一つ窺わせない無表情で見るだけで、私には何一つ伝わらない。犬猫に語りかけるような一方的さすら持っていて、言語が共通していないのだ。
「リドルが私に何を求めているのか、わからない。配下にしたいならすればいい。切り捨てるつもりならさっさとそうできる。なのにそうはしない。けれど距離は置く。これじゃあまるで、・・・・・・・・・・」
あの夏の日と同じく締め切られた窓の前で、リドルは酷く透明であった。

「・・・・・・"友達"を求められているみたいよ」

ぽと、と床に羽ペンが落ちた。乱暴に掻き集めた教材の隙間から落としたのだ。気が付いたが、拾わずにそのまま図書室を出た。乱暴な足取りで踏みつけた絨毯は柔らかく、反発してくるのが不愉快だった。
結局、そのときのリドルの表情を見ることは出来なかった。ただ、扉を閉める前に見えた姿は微動だにせず、砂山にさした一本の棒切れのように、無機物そのものであった。



***



あれは二年生になりたての頃だったか、とにかく体調が悪い日で、だのに医務室が苦手だからと無理を言って寮に帰る途中のことだった。日暮れが遅いと言っても流石に暗くなっている時間帯で、壁の燭台に灯る火がゆらゆら揺れている、その光と月明かりくらいしかなかった。私はルーモスを使う元気もなく、壁際をずるずると移動していたのだが、その時不意に現れた光源に驚いて顔を上げると、ダンブルドア教授が杖明かりを灯して立っていたのだった。
「大丈夫かね?」
呆けている私に穏やかに微笑んで、教授は手を差し伸べた。私は慌ててそれを断ったのだが、なんだかんだと言いくるめられて寮まで送るという申し出を受け入れざるを得なかった。
「そう畏まるでない。わしは君と話してみたかったのじゃ」
「はあ、」
「それはそうと、トムとは仲良くしているかね?」
トムという名を聞いたのは久方ぶりであったので、一瞬誰を指しているのか分からなかった。
ええまあ、と曖昧な返答をしたのを、教授は気にする様子もなくにこにことする。私はなんとなく、リドルはこの人がきらいだろうなあと思った。この人は、幸せの只中で生きてきたという様子が全く思い浮かばないのに、そうであるかのように微笑む。不幸の殻で自分を象っているリドルにはさぞや都合の悪い代物に思えたことであろう。
思考が顔に浮かんでいたか否かは分からないが、それを読んだかのようなタイミングで教授はふぉっふぉっと髭に埋もれた口で曲線を描きながら言った。
「リドルはわしに心を開いてくれんでのう。話を聞きたくても聞き出せぬのじゃ」
「ええ、それは分かります」
躊躇いなく頷くと、教授は一瞬表情をなくして、それから悲しげに目を細めた。
「そなたは聡い。トムとはまた違う聡明さを持っておる」
「・・・・・・」
「トムもそうじゃが、何かを失っている者は総じて何かに秀でるものなのじゃ。穴を埋めようとするのじゃな。だがそれが、正しく穴を埋めるとは限らぬ。それでもわしは、それを持って、皆が幸せに向かおうとすることを望んでおる。使い方を誤らなければ素晴らしいものだからじゃ。・・・おぬしも、それを望んでくれるな?」
私はどうにも、リドルの正しい幸福を願えと言われているようで、素直に頷くことが憚られたのだった。窓に顔を向けながら月明かりを眺めるふりをしている私、それを真剣に見つめる教授が窓に映っていた。
「それは貴方もですか?」
「何がかの?」
「失った者は秀でると貴方はおっしゃった。それが失ったものの大きさに比例するなら、貴方が賢いのはたくさんを失ったからかとおもったのです」
教授は定型としてその表情を自らにインプットしているかのような微笑みで、さてどうじゃろうのう、と言った。
それからは、ぽつぽつとリドルについてを言うだけで、教授もそう多くを語ることはしなかった。ただそれを聞いていると、教授は私をリドルから離したいのではないかと、そんな気がした。
やがて地下の入り口に辿りついたとき、教授は杖明かりをその奥に投げ込んだ後、眼鏡の奥の瞳を何度も瞬かせて、今にも泣きそうだと錯覚するくらいに水分を纏っているそれに光を沢山含ませながら言った。
「そなたに聞きたかったのは、指輪のことなのじゃ」
「指輪?」
「昔そなたからトムが盗み取ったものじゃ。トムが同じように集めたそれらを、わしは返すようにと言った。じゃが、指輪だけは返されなかった」
思い至る記憶があったので、私は頷いた。
「私がもう要らないと言ったのです」
「そう、そうじゃ。それは知っておる。じゃが、そなたがどうしてそう言ったのか、それがわしは聞きたかったのじゃよ」
大切なものだったろう、と教授が言うので、私は記憶を読み返した。確かにそれは両親の遺品で、私がそれまでで唯一大切にしてい、いつも持ち歩き日々磨き続けたものであった。けれど、
「私よりリドルのほうが必要としていると思ったから」
「・・・・ほう?」
「リドルはそうしないと生きていけない人みたいだったから、そう思ったら、私にはもう要らないもののようにおもえました」
地下道からはひやりとした空気が流れてきていて、足首を擽りながら遠ざかっていった。そのときになると、悪かった体調はそうでもなくなっていて、ただ妙な気分の悪さだけが喉の奥で燻っていた。
教授は同じように冷気に晒されながら、今までのテンプレートから離れた、私には出来ない種類の表情をしていた。そのときの私には、それが憐れみだと気付くことは出来なかった。
「そなたのその賢明さは、正しい方向を向けば誰より優しさに近しいものとなる。願わくば、いつまでもそうであることを祈っておるよ」
言葉を返したか否かは覚えていない。
ただ、礼を述べて別れた後に突き進んだ地下道は冷たく、私は、やはりあの人は沢山を失った人なのだな、と思った。



***



ダンスパーティに出席する気など今更あるわけもなかったが、それでもきちんと踊りの練習に参加したり、ドレスを捨てることをしなかったのは、ある噂を聞いたからだった。
トム・リドルが誰の誘いも受けていない。
それは、本来誘う側であるリドルが誰も誘っていないことも意味していた。
自分が指名されると思っていたミス・ブリンダ嬢などは、最初はそれを見て勝ち誇った顔を浮かべていたが、徐々にそれも崩れて、最近では「どうして私を誘わないの!」と今にも叫び出しそうな様子でカツカツとフォークを鳴らし、苛立たしげに食事を摂っているのを見かける。それも無理のないことで、パートナーが決まっていない人間はもはや一割を切った。もとより参加する気のない者、又は参加できないものを除けば、躍起になって所構わず誘っている人物しか残らぬ。
その現状でリドルが"売れ残っている"というのは驚くべきことだった。
なにせ、リドルに声掛けしていない女子がほぼいないという所にまで至っているのである。
私はリドルとすれ違うたびに、その理由を何度も質そうとしたが、その度に躊躇って結局口を噤んだ。距離を開いたのは私だというのに、いざ離れてみると、今までがいかに近かったかが分かる。私はもう何ヶ月もあの声をまともに聞いていない。

訪れたクリスマスイブの夜、皆が眠れないでいる賑やかな談話室の一角で、リドルが同級生に詰め寄られているのを見た。「それでリドル、結局ダンスはどうするんだい?」あからさまにそれを窺い見る者は少なかったが、意識を向けていない者はいなかった。リドルはやはり穏やかに微笑んで、「それについてはもう考えてあるんだ」と言う。そうするともう誰もが何もいえなくなって、訊ねた彼も「途中でパートナーを奪うなんていうことはやめろよ」と冗談を言って笑うしか出来なくなるのである。私は黙って寮への階段を登った。


『それはもう、いらない』
そのときのリドルの表情を、なんと表せばいいのか。私はまだそれにそぐう言葉に出会っていない。
無表情に謝罪の定型句を述べて差し出された指輪を受け取らずにいると、リドルはこれ以上無いというくらいに醜悪に顔を歪めて、恐ろしく毒の篭った感情を剥き出しにした。
私は彼が他の者にも盗品を返しているのを知っていたし、いつか私の元にも来ることも分かっていた。私は返してもらうつもりだった。怒りを込めて詰った後、大切な代物を取り返すつもりであった。
だのに、返品していく度に色を増すリドルの瞳の黒さが目に付いて、気が付けばそれを跳ね除けてしまったのだ。
リドルは傷付けられたと言いたげに憎しみを持って私を見ていた。
彼は蒐集家であったが、それが何でも構わなかったわけではない。その人間が気に入っているもの、大事にしているものを好んで集めていた。それは、返してもらった子どもたちからの話で分かっていた。
つまりリドルは、私が盗品を受け取らないせいで、私から「大切でないもの」を奪ったことになり、自尊心を傷つけられたらしいのである。
しかしそれと同様、私も傷ついていた。なぜその指輪を大切にしていたのかが急に分からなくなり、途端にくだらないものに思えてしまったからだ。
『いらないからあなたにあげる』
指輪を無理にでも突き返したそうにしていた彼は、それでも黙って部屋へ引き返していった。その足音が届かなくなった頃、私は一人になった部屋で崩れるように泣いたのだった。


一睡もすることなく過ごしたクリスマスイブの夜は、他の人間のものとは違って沈んだものだった。
朝食の席は浮ついた雰囲気だろうことが予想されていたから、談話室に降りることもしないで、ベッドの縁に腰掛けたまま朝をやり過ごし、かといって布団に潜ることはしないでいた。眠りたくなかったのだ。
壁に掛けたドレスローブは美しく、私には似つかわしくない。孤児院のヘルパーが姪に買ったのを、サイズが合わなかったと言って作り直し、私はそれの元のを都合よく貰い受けたのである。白を基調としているのに嫌味たらしくなく赤い布地が覗く様子は、趣味に合わないといっても感嘆を覚える。
・・・リドルは黒いローブを着ているだろうか。
他の可能性など見出せないのに疑問系で呟いて、密やかに笑う。ベッドから降り立ち鏡の前に移動すると、のっぺりという擬音が良く似合うような私の姿が映った。


納得するのに必要だった空白はもう十分というくらいに合って、それは私の諦めと覚悟へも繋がっている。
リドルは確かに私を必要としている。それが"あればいいな"というくらいの道具だとしても、そのあり方を私が選べなくとも、それはそうなのだった。
彼は私に友人を求めてはいないし、恋人となることを望んでもいない。
答えは笑ってしまうくらいに滑稽だ。
リドルが私に見出したのは「形骸としての友人」であった。
友人を作るときに結果として生ずるのではなく、元から形のみである殻そのものを。
それが歪んだ彼が求めた私の形で、望まれた私がなるべく姿。
かなしくはない。そもそもの私はくだらないものだから。むなしくもない。私自身を私よりも必要としている人がいるから。
リドルはそうでなければ生きていけないくらいにそれを必要としている。そして私は、大切なものでも、それをより欲している者がいるなら、それの価値が分からなくなってしまう欠陥人間であった。
リドルが欲するなら、それはリドルに与えられるべきもので、もう私には必要のないものなのだ。
例えそれが私自身でも。


「わたくしと踊りましょう!?ねえリドル、あなたもそれを望んでいるはずだわ!」
始まりを待つだけのダンスホールから真っ先に聞こえたのはそのような叫びだった。
甲高く、もはや泣いているのと区別が付かないような声が空気を裂いて、浮ついている他の者でさえ少し気の毒に思っているようである。私はヒールを鳴らさないように一段一段と階段を下った。
「何度も言うようだけれど、僕には先約があるんだ。邪魔をしないでくれないか」
「嘘よ、だって、そんな人どこにもいないじゃない!」
こつん。残り五段ほどを残してうっかり鳴らしてしまったヒール音に、雑踏で聞こえなかったはずのリドルが真っ先に振り返った。
釣られて、漣のように人々が視線を上げる。こちらを見ていない眼がないと思われるほどで、私は思わずぎゅうと手を握りしめた。今すぐ帰りたいとも思った。けれど、そこが私がこれから立つ場所だとも理解していた。
手袋ごしに刺さる爪を無視してにこりと微笑む。リドルよりかは上手くない。
「指輪を返してもらいにきたの」
眼を見開く例の彼女は、もはや観衆の一人に過ぎなかった。舞踏会に遅れて登場した灰被りは、たとえ魔法使いに変身させてもらえずとも眼を引くのである。それが美しさとは違った意味であっても構わない。あの王子が必要としているものは美しいものじゃあないから。
自然と割られた波の間を優雅に歩いて来た彼は、私の前にくるとぴたりと立ち止まる。そうして私の手をとったかと思うと、いつの間に取り出したのか、手袋の上から人差し指へと指輪を通し、ゆったりと屈んでそれに口付けた。

あたりに他の音はない。にこりとリドルが笑った。





(行く行くは美しく死ぬのかもしれない//111215)

四年生のリドルと孤児院で幼馴染だった女の子。昔のホグワーツは毎年ダンスパーティを行っていたという設定。
少し青臭いダンブルドアが書けたのが楽しかった。
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