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イカロスは飛べない/リドル
いつか箱庭を捨てる人/リドル
ロンドン橋落ちた/佐助
覆水を飲み続けるだけの簡単なお仕事/リドル 
曲線美/リドル
君にもらった星空/銀時
なし崩し的恋愛論/佐助
嘘つきな本音/佐助
飛行機雲の残滓/佐助
世界崩壊/慶次






(イカロスは飛べない/リドル)

どこまで行くつもりなのー?

真剣みのない間延びした声。情けなく耳朶を刺激した音は、目を閉じているせいか真っ暗だった頭の中によく馴染んだ。ゆるりと目蓋を押し上げると、その裏と大差ない暗闇が眼前に広がる。星の少ない夜だ。

僕はよく、夜中に寮を抜け出しては箒で空を飛んだ。
その程度のことは自然に出来ることだと思っていたが、それでも自分を曝け出さないままに生きる生き方は思いのほか酸素を奪うらしい。無意識下に息苦しさを感じていたのだろう、衝動のように夜の中に飛び出してはだだっ広い空間の中で一人に浸る、そんな習慣がいつの間にか出来てしまっていた。
優等生を振舞っている自分にとっても危惧すべき傾向だとは思っている。だがそれよりも一番の誤算は、
「紅茶、冷めるよ?」
それに付属する形でくっついてしまった不必要な行事。
ふくろう小屋の柵に寄りかかり微笑む女。
校則違反も甚だしい僕を咎めるどころか毎晩僕用の紅茶を用意する、こんなのが教師だというのだから世も末だ。
「・・・僕はいらないといつも言っているじゃないですか」
軽く箒を支えなおして、地面の高さも判断できない暗闇の中を滑るように飛ぶ。一定の距離を保った場所に滞空すれば、上手いねえ、と女は微笑した。
「昨日いらなくても今日はいるかもしれないでしょ?」
繰り返す毎日と同じセリフの後、未来永劫僕に必要とされることのない紅茶に彼女は口をつける。両手に二つのカップを持って、交互に喉へと流し込む様子はやはり間が抜けている。

これも柵なのだ、と僕は思っている。今の自分を縛り付ける沢山の障害物。僕はヴォルデモートとなることで、それを一つ残らず壊す気でいる。否、壊さなければならない。世界という括りの中に当てはめられた僕を僕はもっと広い場所に連れてゆく。僕以外のものは全てがその邪魔であり、その為に利用すべきものであり、結果的に手放すだろうもの。その結果に疑問を抱くだろう心は殺して、僕は闇に浸る。黒く色づいた空気の中、箒に乗って、自分が一人であると実感できる場所に、僕は。

「どこまでも」
「え?」

首を傾げる彼女につられて紅茶の水面も揺れた。僅かな光が反射して闇に抗おうとしていたが、それも直ぐに散って消えた。
「さっきの質問ですよ。僕はここよりずっと高い場所にいく」
片方の紅茶を飲み干した彼女は、不恰好に口を歪めて目を細めた。「そう、」カップが白い手足の延長として闇に浮かぶように光っている。飲み干されたそれは彼女か僕、どちらの為のものだったのだろう。
「・・・太陽に翼を焼かれないようにね」
僅かな時間を置いたあと、彼女はそう口にした。
マグル学という、僕が一番嫌悪している教科を担当とする女は、そうやってときどきよく分からない表現を使うのだ。
「僕は夜にしか飛びませんよ」
カップの底には滲むような茶色がこびり付いている。あれにはこの先どれほどの回数紅茶が注がれるのだろう。女は今度は笑わなかった。お前は煙なのか馬鹿なのか、と呟いて、遠くの陽炎を見つめるような表情をしていた。






(いつか箱庭を捨てる人/リドル)

例えば魔法使いがこの世にいたとして、その人は何が出来るんだろう。

「とか、考えたりしない?」
私が振り返ると、リドルは少しだけ顔を歪めてから「・・・僕がかい?」それを自然に笑みへと移行し、あたかも単純に不思議に思って聞き返したような空気を作り出した。私はリドルのそういう歪んだところが好きだと思う。
「リドルは魔法使いなんでしょ?」
そう、リドルは魔法使い、らしい。私は信じていないが。
キッチンに引っ込んだ彼を目で追いながらソファーに倒れこむ。中の綿が私を押し返して、沈み込んだ体が少しだけ浮くような感覚がした。例えばそう、仮に魔法が使えたとして。それはどれくらい素晴らしいものなんだろう。水や火が生み出せる、空が飛べる、人を殺せる、だけどそれは機械にも出来ることだ。じゃあ、魔法使いにしか出来ないことってなんだろう。彼は、何が出来るというのだろう。

「例えば私の眠気を飛ばしてくれるとか、私のだるさを消してくれるとか、そういう魔法ってない?」
「さぁ。あっても君には使わないけどね」

声は意外と近くから降ってきた。ふわりと漂ってくるニッケの独特な香りが鼻腔を刺激する。彼は音を立てぬよう盆を机の上に置き、一つしかないティーカップにゆっくりとお湯を注いでいた。急速に香りの密度は増し、空気に混ざりこんだそれがふわふわと私とリドルの間の空間を満たしていく。どうしてか、このどうしようもない隙間が埋まるような、そんな錯覚がする。
だけどそれがなんだという。私とリドルの間に空白があることの証明に他ならないのに、私はどうしてこんな虚しい空想に身を委ねているのだろう。部屋の空気とは対照的に私の中からは温度が消え、世界は少しずつ無臭になってゆく。

「リドル、」

ソファーに座りなおそうとしていた私はふと、彼の前髪が耳から滑りおちる様子に目を奪われた。顔に細い黒色が掛かって繊細な陰影が作り出される。リドルは、綺麗だ。たぶんこの世に存在する誰よりも。魔法使いがビビデだかバビデだか叫んでシンデレラを生み出したとして、その美しさは彼には叶わない。
白を基調とする部屋の中に、まるで染みのようにぽつんと佇む私とは違って、彼は言うなら・・・そう、逆にその部屋の白さを自分の引き立て役にするような、そういう存在の仕方をしていた。
立ち位置、角度、何から何までがどこにあろうと完璧で目を奪われる。
それはゴンドラから山々を見下ろす時の感動とも、愛情溢れる家族達が映された写真を眺めるのとも違う。見目の美しさではなく、心の清純さでもなく、いうなれば、生きた人間をそのままを描いた絵画を見たときに感じる漠然とした不安。

「・・・・・・どうしたの?」

はっと意識を取り戻したときにはリドルは微笑んでいて、私は無意識に伸ばしかけていた手を引っ込めた。「せっかちだね。心配しなくてもこれは君のだよ」私が紅茶を催促したと思ったのか、リドルは仄かに香るカップを持ち上げる。ようやくそこで、差し出されたそれが自分のものだと知った。
私は受け取れなかった。

「・・・・・・・・リドルは綺麗ね」

お礼を言うことすら出来ない脆弱な私。私は知っている。リドルは私のことが嫌いなのだ。だけど、私に優しくすれば周りの評価を得られる。だからここにいて、私に偽りの笑顔を向けている。
酷い人間だと罵るべきなのかもしれない。けれど、私はそれ以上に彼の美しさを知ってしまった。否定することができないのだ。

彼は俯く私の手を優しく包んで、そうして丁寧にカップを持たせた。温かみが手のひらから身体へと浸透して、じんわりと視界が滲む。
柔らかな支配によって、私はいつも先の行動を束縛されている。
まるで箱庭。

「    」

リドルは不意に声の調子を変えて私の名を呼んだ、ような気がした。
ゆっくりと顔を上げた先に浮かぶのは私が持つのと同じ柄のカップ。重力を無視して空中を彷徨うそれは遊ぶように軽やかに飛びまわり、部屋の中に僅かな風を作り出している。呆然とする私の前で、紅茶はひとりでにポットから飛び出して動き回るカップに滑り込んだ。宇宙空間にでもいるような光景。見開いたままの目を閉じられないでいる私に、リドルは悪戯が成功したときのような――どこか幼い笑みを浮かべていた。
空中で静止したカップを手にとって、彼はそれを流れるような動作で口元へ運ぶ。

「きっと、魔法使いはこういうことが出来るんだよ」

――泣きそうに、なった。
心を埋めていたありえない光景への驚きや好奇心が急速にかき消されて、この部屋の空気みたいに、ピタリと心が動くのをやめた。一つだけしか紅茶を入れないリドルが脳裏に映し出される。答えは与えられているのだ。
歪んだ顔を誤魔化すようにカップを持ち上げ、味も分からない舌の上に無理矢理紅茶を滑らせた。纏わり付く香りが一層濃くなり、湯気が角膜を刺激する。「・・・美味しいよ」冷ますこともしなかった紅茶が喉を焼いて、潤したはずのそこから驚くほど乾いた声が出た。

「それは良かった」

嘘に嘘で返すリドルはやはり美しい。風も無い部屋の中、リドルの細い髪が揺れていた。目を逸らす。手の内で揺らめく水面が私の顔を歪めては元に戻している。彼は私には魔法を使わない。それが、魔法使いの答えだった。






(ロンドン橋落ちた/佐助)

佐助は肉体的にも精神的にも比較的強い人間であったし、また多方面で賢くもあった。特に彼は自分を守る術に長けている。だが、それが指し示す事実は強さだけではない。私は思う。彼は、臆病であっただけなのではないか、と。
くらくら、くらくら、庭木はひずむ。陽炎がすぐ傍にあるからだ。
「ばあか」
ぶらぶらと、普段の佐助なら行儀が悪いと叱りそうな貧乏ゆすりをしながら罵った。佐助は笑うのみであった。うん、と。何もかも肯定し受け入れるのだという言葉を発しておいて、私を拒絶している。
「まぬけ」
「うん」
「愚か者」
「うん」
自らに対して驚くほど客観的な佐助は、私と同じように庭木を眺めていた。距離は五寸と離れていないのに、私は脳裏に記録してある優しい目元を思い返すばかりで、お互いを見もしない。私が佐助とはまた違った意味で臆病であるゆえに怯えているのを、彼がその持ち前の敏感さで察してしまっていることは明白だった。
「私を切り捨てたいんでしょ。そんなふうに遠回りに別れを告げなくたって、弱みになりそうだから捨てるんだってことくらい分かるのよ」
私が恐れているものは真実だ。対して、佐助は違う。佐助は私が怖いのだ。
佐助は嘘を付くのが得意というよりは、偽らないことが苦手という方が近しい。感情と表情の回路を一度断ち切ったものは、得てして本当を語ることができなくなる。騙ることしかできない。一度処理した感情を表情として創作することでしか本音は外へ排出できず、その場合の表情は模造品となる。自分はこのように感じているはずだから、こういう表情として感情表現をするだろうという想定の機械的な処理の後、それが笑みなどの顔の歪みへと変じるのだ。
以前までは似たような処理能力を持っている己に器用なものだと感心することもあったが、同種の他人を前にしてみると滑稽以外の何者でもないことを知った。取り返しはつかない。向こう岸へと繋がるものが無い以上、橋はもう掛けられないだろう。
「ごめん」
佐助は向こう岸に見える信号を意図的に改変したのだろう、一旦笑顔を消して目を伏せる。長い睫が明るすぎる太陽に焼かれて、薄い夕焼けのような色になった。
謝るのは卑怯だ、とそれだけのことが言葉にできなかった。
「死ねなくなるのは、・・・困るんだ」
へらり、向こう岸から投げ渡されたのだろう表情が、一度変換された上で佐助の顔に張り付く。というのは佐助の脳内でのやりとりの予測だが、恐らく間違ってはいなかった。私も同じような経路を辿って微笑んだからだ。
「―――私がいるから死ねないって思ってくれたことは嬉しいよ」
フル稼働していたせいか、処理落ちが起き始めた脳内では色とりどりの光が輝いている。目を閉じたときに見える、焼きついた太陽の光のようにチラチラ瞬いて目障りだった。
「佐助は死にたがりなの?」
「違う。でも、俺様はいつでも死ねる存在でなきゃいけない。あの人の忍びだから。そうだろ?」
「そうだね、なんて幸村は言わないよ」
知ってる、と佐助は呟いた。ようやくそこで横を向けば、違う方向を眺めているだろうと思っていた彼の顔は私の首当たりを食い入るように見つめていた。そういうところが臆病だっていうんだよ、と。言おうとしたのを飲み込んで、その顔を無理矢理別の方向へと向ける。ぐりんと勢いよくねじった佐助の首は嫌な音を立てたが、彼は「ちょっ、痛いんだけど」と無事しか感じられない軽い調子で苦しんで見せていた。
「佐助」
「なあに」
「ばか」
「・・・・・・・それはさっき聞いたよ」
「だって佐助の話だと、佐助が私を好きだったんだって解釈しかできないんだもの」
ふつり、光が途絶えて、彼の瞳は消えそうなくらいに淡く希薄になる。
あ、と思った。橋が落ちた、と。
「違うよ。その解答は間違い。大切な存在は旦那以外作らないって決めてたんだ、初めから」
沢山矛盾している言葉は偽られる。幸村が大切だと、いつも隠す心の一部を晒してでも隠そうとした何かがそこにはあった。今でも大切なものに順列を付けられているなら、私たちが別れる必要性などないはずなのだ。
「どう考えても幸村の方が大切でしょうに、なんで私をそこに入れちゃったのさ」
「あのね、人の話ちゃんと聞いてる?」
佐助は眉を顰めて呆れを最大限に表したあと、ふっとそれを緩めて微笑んだ、・・・ような気がした。立ち上がった佐助の頭は高い位置で、翳ってよく見えない。まるで遠く曖昧な記憶の中にいる人を思い返そうとしたような、そんなぼやけ方をした顔だった。さらにその妨害をするように降ってきた手は大きく、視界を掠め取るように払拭したあと、頭皮に触れるか触れないかの一撫でだけで離れていった。
泣きたくなったのは、おそらく、手の温度を覚える暇もなかったからだろう。
「・・・たわけ」
「うん」
「自己中」
「うん」
「殺していく勇気もないのに、全部斬り捨てられる自分は強いんだって思い込みしてる臆病者」
「よくわかるね」
「分かるわよ。いま、どうやって泣けば良いのかも分からないくせに」
「それはお互い様だろ?」
これだけ長い人生を生きてきて、身につけた術がこれだけだなんて嘆きたくもなるだろうに、佐助も私も眉尻を下げることすらしなかった。やり方がわからない私はまだしも、こんなに晴れているんだから水滴くらいすぐ乾くのに、頭がいいはずの佐助はやはり馬鹿だ。
「あんたがどこかで生きてることを祈ってる」
案の定佐助はそれ以上の言葉を言わず、私に解答を与えることはしなかった。もしくは、出来なかったのかもしれない。答えは橋そのものの形をしていたような気がするから、おそらくはそれが正解だ。
「自分が叶えられない願い事を押し付けていくのはやめてよ」
別れとはとても容易い。出会いには二人の人員が必要だが、別れにはただ一人の都合でよい。それを私も知っていたし、佐助も痛いほど知っていただろう。最初に作った橋が落ちたのはなんでだったのかなあ、と今更ながら思考してみても思い出せないように、それはほんの些細なきっかけで分断した陸地で、私たちはこの別れのことをぼかして記憶してしまうのだろう。佐助は何一つ明確な言葉を残さずに去るつもりらしいから、私も言わないでおくことにした。じりじりと肌を焼くような太陽と、陽炎。一番大きな雲の形はひよこのようにも兎のようにも見える。こういうくだらないことはどうしてか忘れられないから、数年後の私はそれだけを覚えているかもしれない。佐助が手を振るのにあわせて太陽光がキラキラと反射する。悲しいときに貼り付けるべき表情を、私は未だに思い出せないでいる。






(覆水を飲み続けるだけの簡単なお仕事/リドル)

覆水盆に帰らず。
そんな有名な諺も知らないようで、天上の神さまはバケツを盛大に引っくり返しなさった。

視界を遮る程の雨の筋が止め処なく零れ、地面は軽い洪水のように薄っすらと水が張っている。隙間なく足に張り付いた靴下は重たく、私の歩行の邪魔をした。冷え切ったはずの腕は逆に熱を帯びてきて、空気との境界すら曖昧になる。
その一面の水溜りのなか、三メートルも離れていないはずのリドルを見失った。

「リドル?」

最初から一人だったのだと知らしめさせるような空間。噎せ返るほどの雨の臭いがする。激しく打ちつける衝撃が人の気配を消し去り、額に張り付いた前髪からはひっきりなしに水が流れ落ち、何滴かは目にかかってしまった。その度に瞬きをしながら手探りで闇を探る。ふと、手が触れる前に気がついた。リドルはそこにいる。移動どころか身じろぎもしないで立ち尽くしている、彼ではないか。一時でも彼を見失った理由が分からないほどに鮮明に、肌が彼の気配を認識する。ああ、私は。

「ようやく一人になれた」
「・・・リドル、」
「輪郭が分かる。曖昧で不鮮明だった僕の輪郭が、確かにあるんだ」
「リドル!」

防水呪文を使えるはずの魔法使いは色濃くなったローブを纏ってただ佇んでいる。艶やかな髪が水気を帯びて光を僅かに反射させ、増した暗さを際立たせていた。少ない光源は水溜りの上を滑り、波紋で乱されてはチラつき、リドルの長い睫に落ちた水滴の存在を美しく演出する。絶対に光を受け入れはしないくせに、自分を飾る道具として誰より効果的に身に纏うのだから性質が悪い。ぽたり、水滴が落ちる。多くの雨粒と同じのはずなのに、私の目には鮮明にそれが映った。ぽたり、ぽたり。リドルから落ちて、割れる。雨音の一部へと代わる、それがどんどんとそれが増えていって、終いには小さな雨になる。
ぽたり、ぽたり。
ぼやけていく。
まるで泣いているみたいだ。
雨の軌跡が景色を塗りつぶしていく。リドルは微笑んでいた。「どうしたんだい」煩いはずの雨音が、リドル以上に距離を開いた場所から聞こえているみたいに遠い。

「・・・・・・・・・、」

一人になれるのだとリドルは笑う。それはまるで、先ほど私が彼を見失った時の、彼の世界から弾き出されたかのような錯覚を引き起こした。実感ではなく錯覚にすぎないそれ。実際には最初から彼の世界に私はいないのだけれど、それでも更に遠くへと押しやられるような、「僕は僕を使い分けすぎてぼやけているから、本当の僕が分からないんだ。でも」言葉が何一つ出てこない。空気に塞がれた喉が仕事を放棄して喘いでいる。

「でもここなら僕は僕でいられる。ひとりきりの世界にいられるんだ。他の誰もいない。愚かな教師も、鈍い同級生も、ただの手駒も、君も―――」

急速に増した雨音が他の音を駆逐して、私は






(曲線美/リドル)

彼は間違いなく正気だった。

「私は魔法使いになりたかった」

歪んでいる、と。そう一言で表して欲しくないと思うくらいには、リドルに好意を抱いていたのだと思う。
かといって「狂っている」と称されれば、否定こそ出来ないが・・・狂うということはつまり人間的な素材で作られたが故に生じる後遺症であって、だから彼は今でもヒトであるのだと、そう主張するだろう。
彼は狂気を生んだのではなく、正気を歪ませて出来た結果に狂いが生じただけの人間だったからだ。

「・・・君は魔女じゃないか」

リドルは本を捲る手を止めることなく、それどころか私の顔を見ることすらしなかった。突然部屋に押しかけた挙句数時間ものも言わずに自分を見下ろし続ける人間が居たら、私は迷わず蹴り飛ばして倒れたところに間接固めをし、理由を詰問するくらいはやってみせるだろうが、リドルは全くそういう衝動に駆られないらしい。落ち着いた奴だと評価するべきか、周りに感心を持たなさ過ぎると責めるべきか。どちらにせよ返答は私の存在が空気以下だと大衆に知らしめさせるようなものだろう。

「違う。ルーモスもステューピファイもアバダケダブラも使えなくて良かった。ただ、リドルがリドルとして生きれるような、そんな世界を作れる魔法を使える人に、」

なりたかった。
将来の夢にはなりえない宣言は過去形の語尾を持っていて、私は唇を噛み締める。血が滲むくらい潰してやりたかったけれど、無意識の自制心が働いてかそう酷い痛みは感じなかった。無様だ。客観的な感想がじんわりと心を苛む。

「それは僕がヴォルデモートになることに対してのコメント?」

分かりきったことを温度を含まない疑問で訊ね、リドルはようやくそこで本を閉じた。私の話に耳を傾けようとしているわけではない。単に読み終わっただけだ。

彼は歪んでいる。
それは彼を取り巻いた過去から現在に続く世界が、彼がそのままの形で生きることを許さなかったから。
私はそう解釈することにしている。彼が望んでその道へ進むのも、その意思を生んだのは全部彼以外のせい。要するに私はそうやって誤魔化すことでしか自分の責任から逃れる術を持っていなかった。おこがましくも、過去の私がリドルを救おうとしていたことや、それが何の効力も持たなかったことも、もしかしたら拍車を掛けたのかもしれない私からリドルへの想いも、突き詰めた原因である世界という漠然とした括りに押し付けることでしか、私は私を救うことすら出来ない。

・・・・・・その瞳に、私を映してやりたかっただけなのだ。

物腰穏やかに自分を取り繕う彼の、冷徹に澄んだ拒絶の色の中。そこに私という人間を映してみたくて、いうなれば彼を救いたかったのはその過程でしかなかった。だというのに私は目的と手段を入れ替え、いつしか彼の歪みを共有しようとしていたのだから愚かという他ない。
それでも、―――人為的な力で捻じ曲げられた曲線に沿えるように、私も歪みたかった。
そうして彼の穴を、隙間を埋めるように生きたかった。
それだけの為に生きられる人間になりたかった。

「君が何を思っているかは知らないけれど。トム・マールヴォロ・リドルは今日死ぬ。それで全部だよ」

なりたい、と夢として騙るためには無益に時間を使いすぎてしまった。
リドルは追悼のつもりだろうか、忌み嫌っているはずの名前をわざときちんと発音し、宙に浮かべるように囁く。
湾曲した主線に合うようにと歪んだはずの私は、私固有の曲線に邪魔されて、結局は彼との間に大きな隙間を生み出しただけ。ほんの数ミリ噛み合わない部分があるだけで私たちは隣合うことはできず、彼も、私も、この先の道を一人きりで歩かねばならない。
私は一番使いたかった魔法も使えずに、リドルは一番欲しかったものを手に入れられずに、魔法使いを名乗って生きるのだ。それはなんて、

「狂ってる」

リドルは破顔した。「そう、僕は狂っているんだ」まるでそれが自分の正しい在り方だとでも言うように、瞳に喜びの色を灯して。
緋とも紅ともつかない光が揺らめき、彼の本心を覆う。
私が届かない場所へリドルはリドルを連れてゆく。
一番使いたくなかった言葉なら使えるのに、どうして私は魔法使いになれないんだろう。






(君にもらった星空/銀時)

「星を見に行こう」
私がそう提案すると、銀さんは面倒臭そうに頭を掻いた。
「んなもんわざわざ見に行く必要もねーだろ。めんどくせぇよ。その辺のベランダから見てろ」
あまりに素直な返答に呆れながらも、今の私は寂しさなど感じない。「そう?んじゃあベランダにでも行こうかな」冷蔵庫を開けて飲みもしないチューハイを片手に装備。そうしてベランダへと出れば、あたりは暗闇に包まれていて、ところどころの民家に電気が灯っているだけだった。空にある星など数えられる程度だ。もしかすると民家の明かりの数より少ないかもしれない。これだから都会は、といつだったか似たような夜空を見ながら沖田が言っていたセリフを使い回しする。ちゃんと聞いたことはないが、彼の故郷では・・・それこそ散りばめたみたいに光が辺りに転がって見えるのだろう。
そう言う私もまた、そんな光景を記憶に持っている。
「ったくよォ、マジで見んのかよ。風邪引くだろーが」
この町で生まれ育った私が持つはずの無いそれを、ちゃんと知っているのだ。
「はい、どうぞ」
結局こうして私に付き合ってくれる銀さんに、彼の為にと持っていたチューハイを渡す。たとえ見上げた空に情緒が一欠けらもなくとも、それだけで満たされるような美しい感情がじわじわと湧き上がるのを押さえ込みながら。
そのせいで知らず知らずのうちにニヤけていた私の頭を小突きながら、銀さんは無造作に缶を開ける。
「汚ねェ空」
チューハイを傾ける銀さんは、セリフに到底似合わないような優しい表情をしていた。
私はそれに気が付かないフリをして、同意する。
明日も仕事の無い日だから、このまま星が消えていくのを見るのも良いかもしれない。そう言ったら、「明日"も"は余計だ」銀さんは僅かに微笑んで、アルコールの匂いの残る唇を歪ませる。きっと、私の唇に香りを移すつもりなのだ。お酒は飲まないといつも言っているのに。






(なし崩し的恋愛論/佐助)

悲しいことに、私は女の子で彼は男の子だった。このようなことを言えば、何を当たり前のことを、と呆れられるだろうが、私にとっては悲劇とも呼ぶべき哀愁を凝縮したような真実なのだ。

「俺はずっと前からアンタが好きだったよ」

幼馴染だった私と佐助は、年を重ねていくほどに性別の差を広げ、いつしかなし崩しのようにキスをした。当時の私にしてみれば、単なる遊びであり好奇心が形をとっただけの行為だったのだが、佐助にとっては違ったらしい。彼は本気で私に恋愛を求めていて、私がそれを受け入れたのだと思い、そういった関係になれるのだと思っていたのだ。私からしてみれば、何を馬鹿な、と軽く軽蔑する程度しか新たな感情は生まれなかった。
「私は佐助を好きだと思ったことはないよ」
私が何も含みを持たせないようにと気を使って告げれば「別に、今まで思ったことがなくたっていいんだ」と佐助は微笑む。何がなんだか分からなかった。幼い頃に私達がつないだ手は、片方は友情でもう片方は恋慕だった、なんてあまりにちぐはぐではないか。それなのに、佐助はその事実について問題点を感じていない。陳腐にも程がある。釣り合いの取れない想いを持ち寄って傍にいることで一体何が得られると言う。
佐助は私の脳内の争いなど微塵も慮ることなく、恋慕側の手を差し出して、ある意味キザなセリフを吐いた。

「今からで良い。俺と恋に落ちてよ」

あまりの言い回しに私は呆れる以上に感心して、結果として溜息をひとつ付くと共に「何を馬鹿な」先ほどの感想を口からはみ出させてしまった。佐助は少し寂しそうだった。それでも私に手を差し出し続けて、「馬鹿でもいいんだ。片方が友情でも、手を繋げるんだから」それに返す言葉がなかった、と言うのもある。けれどそれ以上に、確かにそうだな、と私は一瞬でも納得してしまった。きっと、そうなることを佐助も分かっていたのだろう。結局、私達がそこから手を繋ぐことに何の問題もなかった。そうして私達はもう一度、なし崩し的にキスをして、ちぐはぐな想いをくっつけて、ただの女の子と男の子になった。






(嘘つきな本音/佐助)

「佐助は嘘が上手いのね」
笑うしかなかった。
というか、本能っていうの?なんか自分の顔が勝手に笑おうとしてたんだよね。ほっぺも筋肉に引っ張られてる感覚があったし。だから自分は笑ってるんだと思ってたんだけど、彼女の頭越しにみた窓ガラスには目を細めて呆けた顔をしている自分がいて。ああ、と思った。目を伏せるようにゆっくり閉じてから微苦笑する。
「あーもう、なんでアンタは騙されてくれないのかなぁ」
愛してる、と言えば伝わると思っていたのだ。だって俺にとって彼女は大事だし、彼女もまた俺を大事にしているのをしってた。じゃあなんで駄目だったか。答えはさっき気がついた。俺は彼女の大事なものになりすぎた。
「騙されてくれよ」
愛すらもそれを壊す天敵に思えるほどに。
「・・・本当に。心から思うよ。アンタが馬鹿であればって、」
馬鹿だったら騙されてくれたでしょ、なんて、俺も上手いことを言ったもんだ。そうじゃないだろ。本当は、彼女が馬鹿で愛を警戒するような人じゃなければって思うんだろ。そうだその通り、大正解だよ。嘘なんかじゃなかったさ、全部ね。






(飛行機雲の残滓/佐助)

別に強くなりたくなんかないよ。
言うと、佐助は驚いたようにこちらに振り返った。
「だったらどうして俺に聞くの?」
その言葉が何を指しているのか分からず、数秒の間思考する。私は何かをこの人に訊ねただろうか?しばらくして遥か遠くからの飛行機の音が近づいてきた頃、ああ、と了解した。
「佐助は強くないねって言ったの、まだ気にしてた?」
「・・・まぁ、突然貶されたからねー」
「聞いてると思わなくて」
「いやいや、セリフの最後で俺に訊ねてきたじゃない」
「"なんで強くないのに笑うの?"」
「そうそれ」
俺様びっくりするやら傷ついたやら。佐助は外国人のわざとらしいジェスチャーのように肩をすくめて笑う。「あんなことを言われたのは初めてだった」そうね、私も言葉にしたのは初めて。だってあまりにも、・・・強いようにと振舞うものだから。
「でも俺は、あの言葉があったからここにいるんだよ」
「ふうん?」
その言葉の端から感じ取ったものに気づかないふり。蔑ろに応答し、佐助の意味深なセリフをかわしながら私は先ほどの佐助のジェスチャーを真似る。
「全く言っている意味が分かりませんなァ」
ゴオオオオオ。
驚くほど動きが遅々としている飛行機が、雲を作りながら私たちの真上に到達した。
「・・・俺様に言わせるの?」
「嫌なの?じゃあ私が言おうか?」
ゴオオオオオ・・・・・・。
「ねぇ、私を好きにならない?」
飛行機が飛び去って、その軌跡も端から空に溶けていく。やがて佐助が呆れを滲ませながら鷹揚な仕草で答えた。
「よろこんで」







(世界崩壊/慶次)

恋はいいもんだよって。
何度もそう繰り返す慶次に腹が立つを通り越して胃が捻じ切れそうなくらいだった。体中が火照って泣きそうになる。
いいもんなんかじゃない。
全然、よくなんかなかった。
「じゃあ、私が慶次を好きだって言ってもそう言えるの?」
そう口にしてしまったという事実は歴史的に考えても今世紀最大の人類の失敗であり危機であり世界崩壊の大予言に等しい。
凍りついた慶次の顔が目に焼き付く。きっと私はこの顔のせいで、さっき言ってしまった一言を一生後悔するのだ。口にする前からわかりきっていたこと。それでも止まらなかったのは、今世紀がどうなろう世界がいつ崩壊しようと私の知ったことじゃないから。
「絶対に叶わない恋をしている私に同じことが言える?」
なんてこの人は残酷なことを言うのだろうと。いつも思うのだ。絶対に私を見ないだろうその目も、未だ遠くの愛しき人に向けているその表情も。全部気にくわない。そんな風にしかアンタが生きられない世界なんて崩壊するのが良いにきまってる。

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