「ねーってば、は好きな人いないのー?」
なんとも間延びした声が後ろから響く。
恐らくあの人だろうなと予想して、(というか若干前に気配に気が付いていたんだけど)振り返ると予想以上に血塗れの長。
お前は肝試しに出てくる戦死者か。
「・・・・・・おかえりなさい。私に声を掛けるより先に身を清めてきたらどうですか」
「えー・・・・・・労いの言葉はないの?」
「オツカレサマです」
言って先ほどまで手入れをしていたクナイを装束にしまいこむ。これは右太ももに隠し持つ用のクナイ。これは右手の袖に。千本もここ。余りのは内ポケット。あ、そういえば小刀の手入れをしていないな。気が付いて懐から取り出す。
そうして「私は仕事中ですよ」アピールを存分にしたのに、長は「は冷たいなー」とか「俺様悲しいなー」だとかを毒づいていて、一向に動こうとしない。血の臭いが充満するのでさっさと立ち去っていただきたい。
「好きな人、いないの?」
「いません」
「そんな事いってぇ〜」
「あーはいはい、いますいます、マジ愛してるのが一人」
「清々しいほど適当だね。年頃の娘があからさまに嫌そうな顔するんじゃないよ」
年頃を過ぎたそこの貴方、いい加減良識を持ってくれ。
「まあいいよ、じゃあ暴露してくれたお返しに暴露してあげよう!俺様の好きな人はなん「わー吃驚!そんな人が好きなんですかァ!じゃあ私仕事中なので失礼しますね!」
「・・・・・・最後まで聞こうよ。名前の一文字も言ってないんだけど」
興味ないんで。
だからさぁ、聞かないようにしてるんだから、
「俺様はが好きなの」
言わなくていいんだって。
「へえ、ふうん。それはどこの町娘です?あ、いいです答えなくて。それじゃあ」
もう面倒くさいこの人。眉根を寄せずにはいられない。もういっそ幸村様の部屋にでも逃げようか。荷物をまとめて右足を浮かせたところで、ぬるりとした感触が腕を襲う。
「長、腕が汚れました。迷惑です」
「あのねぇ。・・・・・・これ以上汚されたくなかったらちゃんと聞きなさい。俺様は今こうして腕を掴んでるこの優秀な部下を愛してますって言ってるの」
ああもうこの人、嫌い。
「私は幸村様が好きですので」
言うのに、その嘘が通じている気配はなく。その男はさも自分の子の可愛らしい嘘を笑うかのような顔をする。あーあ、と思う。自称"優秀な"忍びがそんな人間臭い表情をしていいのか。
そのうち忍びでいられなくなりますよ。
冗談じゃなく。
「いいですか、長。よく聞いてください。忍びに恋はできません」
「できる」
「できません。聞いて、と言っているでしょう」
強く言うと、押し黙った長が無表情になる。怒っているのだろうが、そのほうがいい。彼が笑って誤魔化している間は何を言っても糠に釘。
「これは本当に恋をしてしまった者としての忠告です。貴方はなぜ忍が恋をすることができないかわかりますか。それは不可能だからではありません。したら死ぬからです。人を、・・・・・・殺せなくなるからです。ふとした瞬間にその愛する人の顔が頭を過ぎる。殺した人に同じような存在がいるだろうことに恐怖する。だんだんそれが強くなって人を殺すたびに美しい情景がチラつくようになる。そうなるといづれ忍として死ぬでしょう。――それが私ならいい。でも貴方はここで死んでいい人じゃない」
風に煽られて木々がざわめく。「――・・・・・・」いつの間にか長のべたついた手は離れていた。私は何も思わなかったとでも言うように血で汚れたその腕を拭く。普段から身を隠す服ばかり着ているから、自分でも驚くほどに白い腕だった。
長は何も言わない。
私は場を取り成すように長の袖を引き、井戸のほうへ行くように促した。
「――ですからご冗談は、種類を選ばれますよう。」
冗談にしてくれ、と。
その言葉に含めた懇願に長が気付かぬはずはない。
想像通り、長はその顔にできすぎた笑みを浮かべた。へらり。逆に胡散臭いですよ、と言いかけてやめた。
「ちぇ、冗談が通じないなぁは」
長が軽く肩をすくめる。私は先ほど長の服の袖を掴んだせいで再び汚れた手を拭こうとしたが、まどろっこしくなって長の服になすりつけた。「うわっ酷い!なにすんの!」「既に汚れているから問題ないでしょう」「ないけどそれってどうなの!」余りに文句ばかり言うので、今度はもっとあからさまに拭いた。どうせこの迷彩服はもう使い物にならないだろうし。洗うより捨てた方がいいに決まってる。
当たり前の事なのにその服がまるで自分のような気がして、途端に襲ってくる寂寥と喪失感。
どうせ捨てられるなら、いっそ私の恋心も一緒に擦り付けて捨ててしまおうか。
「・・・・・・・・・・・・」
とか。
考えてることをこの人は知らないんだろうな。
しつこく擦ったら逆に手が汚れてしまったのが変に笑えた。
そんな私の想いを見透かしたかのように(そんなはずはないのだけれど、あまりにもタイミングがよかったものだからそう思わずにはいられなかった)長は自分の衣服に手をあて、呟いた。
「この服、捨てないでとっておいたら駄目かな」
私が触れた場所に触れて。
私が擦り付けた想いに触れて。
俺様のはぜんぶ冗談にするからせめて、と忍にしか聞こえないようなかすかな声で言う。
何が「せめて」なのか。
先ほどの話をなにも分かっていないではないか。
溜息ひとつ。いつものように呆れた顔をしてみせて乾いた唇を動かす。駄目ですよ、暗殺の証拠物件を残してどうするんですか。言おうとは思うのに、唾液に絡め取られて何度も同じ言葉を飲み込んでしまっていた。私も人のことは言えない。「そう、・・・・・・ですね」馬鹿な私。そんなモノは捨ててしまった方が良いというのに。
「カビが生えるまでなら、」
「ああそうか・・・・・・じゃあちゃんと日干しする」
「――そこまでするなら洗えば」
彼は私が淡い想いをなすりつけた事など知らないだろうから、ただ私が触れたものを残そうとしているのだろう。それが歯がゆいような居た堪れないような気持ちになる。愛される感覚が確かに有る、から、困る。なのに長はまたいとおしげに微笑む。
「これは忍びの先輩としてのアドバイスだけどね、洗い落としたらいけない汚れもあるんだよ」
だからこれは洗えないんだ、なんて。
その表情を見る限りなにも冗談にできてないよ、バカ長。





(Turn the love into a joke.//11XXXX)

そういえばDNA鑑定とかないんだから暗殺につかった衣服ぐらい残っててもどうってことないよな
inserted by FC2 system