15.5

ミネルバ・マクゴナガルは天才ではなかった。おそらく、秀才ではあった。それでも自分のことを、勉学しか脳のない、それも勉強をするから頭が良いという、ただそれだけの人間だと思っていた。
幼い頃は勉強が出来るというだけでヒーローヒロインになれるものだが、それを過ぎるとただの「勉強が出来る奴」に成り下がる。勉強なんかよりも、変わった趣味や特技なんかがある方がずっと神聖視される。それもそのはずで、勉強が出来る奴なんかどこにでも、いくらでもいるのだ。例えば、魔法薬学、魔法史、呪文学など、どれも無難によくできる人間よりも、何か一つに秀でている方が人間として特徴的であるし、必要とされることも多い。
ミネルバはどれも出来るし秀でているけれど、天才にはなれなかった。
どれだけ努力しても、練習を積んでも、やはり、勉強が出来る奴で、クラスメイトには凄いと賞賛される、けれど、それだけの存在。
そんなミネルバが教師になりたいのだというと、学友達は口をそろえて「凄く良いと思うわ!」と言った。
「ミネルバは勉強がとても良く出来るんだもの、教師になることは難しくないと思うわ。他の職業に比べると安定しているし、とてもいい職よ」
違う、と思った。確かに嬉しい言葉であったし、応援してくれているのも分かる。けれど違うのだ。勉強が出来るから教師になりたかったわけじゃない。難しくないから選んだわけじゃない。他の職業に比べると安定しているから選んだわけじゃない。私は教師になりたくてなりたいと言った。それを、そのままでは受け止めてもらえないのか? 生徒達を指導し未来に送り出す、その仕事をやりたいと思う私だから、ミネルバだからその仕事をできるのだと、思ってはもらえないか?
ある時親友にそのことを言うと、彼は気難しい顔をして言った。
「君が教師になりたいことと、なぜ教師になるのかを友人が理解してくれないこととは、全く関係がないだろう」
彼は淡白ではあるが、人でなしではないし、間違っていると思うことは言わない。だからミネルバも確かに、と思った。その通りだ。周囲と微妙に噛み合わないからといって、それが夢に関係することはない。けれど、と思う。けれど、「ミネルバ」が教師に向いていると思ってもらえない自分は、本当に教師になるべきなのか。
7年になっても、ミネルバの中は燻ったままだった。
やはりただ勉強が出来るというだけの人間が、そんな立派な夢を持つこと事態が間違っているのかもしれない。私なんかは――とミネルバは半ば諦め気味に考えるようになっていた――その勉強しか詰まってない頭で、ずっと机に座って事務仕事をこなしている方が合っているのではないか。そう、私は、周りが評価するほどの人間じゃない・・・・・・。
「あなたはきっと良い教師になる」
それは。
それはミネルバを救う声となった。
現実味のない、どこか浮世離れした微笑だった。少女はミネルバよりも幼い顔で、裾の長いローブとスリザリンのタイを締めているが、知らない生徒だった。声は耳を通ってすとんと胸に落ちる。
不思議な出会い――。
ホグワーツの生徒は全員覚えていたはずなのに、どうしてか少女の名前すらも分からない。それに対して彼女は、出会ったこともないはずのミネルバを知っていて、教師になろうとしていることもなぜか知っていて、ミネルバ・マクゴナガルが教師になれるのだと、そう言った。
勉強が出来る奴が、じゃない。
秀才が、でもない。
ミネルバが。
「・・・・・・あなたは」
迷子だったミネルバを意図せず救った、あまりに単純な言葉。
「あなたはいったい誰なの・・・・・・?」
「ホグワーツナビ」という異名を持つのだと悪戯っぽく言った、正体の知れぬ少女。























24.5

「私のことを知りたいの」そう聞いたの声に女特有の甘ったるさは一切無かった。リドルが見ているは、なんにでも興味があって、危険を省みずに好奇心だけで生きているような、そういう人間であったから、全く逆にそういった正の感情を削ぎ落とした声が、一瞬誰のものか分からなかった。
変わらず拘束は緩めなかったものの、はもう抵抗しそうになかった。自分が何をされるかを理解していても、それに関心をなくしたかのようだった。
リドルは驚きを押し隠しての眼の奥を覗き込んだ。
レジリメンス。
無言呪文として魔力が形成され、眼の奥に潜む小さな光が解けるように目の前に広がって、の心が無防備に晒される。開心術を使う慣れた感覚だった。諦めからか、そもそも習得していないのか、閉心術を使う気配はない。案外あっさりだと拍子抜けしたくらいた。どうしてかは魔法を使うことを厭っているところがある。それがリドルには理解できないし、何より面白くない。使える力を行使しないのは狂っている。
そのときだった。いつもとは違うと気がついたのは。
これは、なんだ?――記憶は白い煙に絡め取られたかのようで、所々に靄がかかっている。術者自身の記憶の改竄かとも思ったが、それにしてはお粗末で統合性がなく、記憶全体が歪んでいる。閉心術ではこうはならないし、幻術の類ではない。まるで、そう・・・・・・言うなれば、全く別の人間の記憶に覆われ、それが混ざりこんでいるかのようだった。
リドルの前をすっと一人の少女が走っていく。気が付けばそこは全く見たことのないような景色だった。灰色の、四角く無機質な建物が乱立している街。
ここはどこだ? こんな場所がイギリスにあっただろうか――考える前に場面は切り替わって、少女は図書館にいた。よく見るとその少女はのようだった。は胸に分厚い本を抱えている。表紙は濃い赤色だったが、リドルにはそのタイトルが読み取れなかった。
はそれを司書らしき女に渡し、その時に何かを言った。しかし、リドルにそれは聞き取れなかった。本のタイトルといい、言葉といい、どうやら異国らしい。リドルは以前が自分を日本人だと言っていたことを思い出して、神経を研ぎ澄ませた。すると、の言語は突然リドルに理解できるものへと変化した。
「延長をお願いできますか」
「あら、珍しいわね。読みきれなかったの?」
「いいえ。でも面白かったから、もう一度読み直したくて」
は外見の幼さに似合わず、今と同じような喋り方をした。最も、それはリドルがを幼く見すぎているだけで、はすでに中学生以上の年齢だった。
「ハリーポッターシリーズね。そんなに面白かった?」
「とても。ほら、私ドラコ・マルフォイが好きって言ってたでしょう? それで今回、ルシウスまで出てきたものだから、楽しくて」
そこで急に場面が捩れるように移り変わった。正す間もなく記憶は入れ替わり、ただ荒涼とした土地が広がっている。靄は先ほどより濃く、時折全く何も見えなくなるほどだった。そこにははおらず、代わりに二人の青年がいた。一人は燃えるような赤い髪の中肉中背の男で、もう一人は日に輝く銀色の髪を後ろで縛っている、やけに白い青年だった。
「俺は・・・・・・ホグワーツを去る。もう二度と会うことはないだろう」
銀髪の方が言うと、赤髪の方はギラギラと怒りに燃える眼で銀髪をにらみつけた。
「何のために?」
「そんなものは、聞かなくとも分かっているだろう」
「分からないさ!」赤髪が怒鳴った。「分からない――分かりたくないとも! お前はただ逃げているだけなんだ! そうやってお前は俺からも逃げる気か――サラザール!」
サラザールと呼ばれた男は、深緑色のローブをはためかせて立っていた。暫く沈黙を保った後、サラザールは無表情に頷いた。
「ああ、そうだ」
赤髪は唇を噛み締めた。
「ずるい男だな、君は・・・・・・!」
その言葉にサラザールの表情は一瞬揺らいだ。しかし、顔を伏せ拳を震わせていた赤髪はそれに気づくことはなかった。サラザールは躊躇した後、組んでいた腕を解き自らの前髪を掻き揚げた。
「我が親友ゴドリック」
サラザールの声は強く、研ぎ澄ませた意志がそこにはあった。一瞬靄の隙間から覗いた眼が、赤く血のような色をしていたのをリドルは見た。
「俺はマグルに復讐すると同胞達に誓った。許すことなどできない。だが同時に、俺はお前達の夢を守りたいと願っている。俺達が築き上げたこの城を脅かすものがあれば、俺は容易く手を染める。俺はこの城の為だったらなんだってしてやる・・・・・・それが敵であるなら、例え俺自身でも排除しよう。この想いは嘘じゃない。嘘にしたくないんだ。だからゴドリック・・・・・・俺に友を、友の夢を壊させてくれるな」
「それじゃあサラザール」ゴドリックの声が急に幼くなり、また風景が捩れた。「君の未練はなに?」
より一層靄が濃くなる。先ほどゴドリックが立っていた場所には、日に透けるような髪色の男子生徒がおり、椅子に座っている。その正面にはピアノがあって、男子生徒の顔は見えなかった。
「オレもその未練の一部なのかな」 先ほどの声はこの少年らしい。リドルはふとその男子生徒に見覚えがあることに気が付いた。一体どこで――。しかし思考が走るよりも先に少年の指がピアノの上を滑り、悲しげな曲が奏でられる。
「俺の未練は――」
傍に浮かんでいた幽霊が少年に答えようとしたとき、記憶はブツリと途切れた。
真っ暗だ――リドルが怪訝に思い視線をめぐらせると、そこは全くの暗闇でなく、足元には小さな明かりがいくつもついていた。暫くすると室内にも明かりがつき、おぼろげにその全貌が見え出した。映画館、だろうか。書物で見たものに似ているが、それにしては無骨で大きな黒いスクリーンがある。リドルが視線をめぐらせると、他に何人もの客がいるのが眼についた。
リドルの傍、中ほどの席に座っていたは、伸びをしながら立ち上がった。
「面白かったね」
「うん、そうだね」
が友人らしき女に答える。そして鞄を肩にかけ、手に持っていた半券を紙の容器に投げ入れると、片手で持って出口へと歩き出した。先ほどまで視界を奪っていた真っ白な煙は嘘のように消え去っていた。
半券には「ハリー・ポッターと死の秘宝 part2」と印字されている。
は人の波に乗り、流されるように遠ざかっていく。リドルはすぐ後ろをついていった。しかし、が次に語った言葉に凍りついた。
「でもヴォルデモートがしたかったことは終ぞ分からなかったな」
やがて波が引くようにして人が消えていく。しかし、リドルはそれを追うことが出来なかった。
この女は今、なんと言った?
驚きで見開かれたリドルの眼は、忙しく揺れていた。絶対に聞けるはずもない場所で、言われるはずもない人物に紡がれた言葉・・・・・・。の笑い声が遠ざかる。リドルは立ち尽くすしかできなかった。
そしてその時、動揺で乱れた術は霧散するように解けた。























34.5

がダンブルドアと接触した翌日から、サラザールは別行動をしていた。
今日もはいつもの通りふらふらと校内の散歩に向かった。未だサラザールがいなければ分からない道があるようだが、それでも大体の地理は把握したらしい。まるで知らない土地を大雑把な地図だけで旅行するように、いつも楽しげに探検している。その様子は例の事件の前も後も変わりがないようにサラザールには思えた。
しかし、それでも先日のリドルとのやり取りは重要な意味を持っているはずだと、サラザールは考えていた。だからこそサラザールはを離れ、リドルの後を追っている。
ここ数日、リドルは図書館に通い詰めていた。その手に取る本は大体が開心術について、またはその効果を紐解く理論書や、呪文によって引き起こされた事例を書き記した本だった。リドルもまた、から得た情報を持て余しているのだ。
双方の反応からだけでは、サラザールに事実は把握できない。そのことが鈍い不快さを生み出している。まるで正体の掴めない靄を掻き集めようとしている気分だ――しかしそれでも、なんとかについての情報を引き出そうと、サラザールは躍起になっていた。なぜなら、それがサラザールの目的に関わる。サラザールはを利用する気でいる。しかし、得体の知れないものをそのままに使うようなことは危険すぎる。
が失言をしようとしているとき、止めなかった理由のひとつはそれだった。自分の代わりにリドルにの情報を引き出させる。そしてそれをリドルから突き止める――。リドルもまたに好奇心を示し、その情報を欲していることをサラザールはよく理解していた。
まさかリドルが開心術まで使用してくれるとは、嬉しい誤算というものだったのだが、ともかく事態はそれほど悪くなっていない。は楽観的で、どうしてか自分をまだ受け入れているようだし、もし仮にこれが失敗しても次の手がある。もう一度開心術を使わせることだってそう難しくないだろう。サラザールはそう考えてすらいた。
しかし、それは覆されることになる。
リドルは図書館に向かっていたが、連日とは違い、その横にはオリオンがいた。
足早に図書館へ向かうリドルを、オリオンが追った。
「いったい何を調べておられるんです?」
オリオンが問う。リドルは振り返らずに短く答えた。
の記憶についてだ。不可解なものを見た」
「不可解、ですか。どのような点が?」
そこで二人は図書館についた。目立った課題がない為か、生徒は少ない。リドルはさっと奥へ向かうと、開心術についての本が並ぶ書架の前に立った。
「何もかもがだ。第一に、が過ごしていたらしい地域の町並み。あんな鉄の塊が並び立つ光景があるのはどの国だ? まったく聞いたことがない」
「彼女は日本人では?」
「そう聞いているが、第一日本という国は戦争中で、ああも軍事的な物体が並び立つ場所が平和であるはずがない」
リドルは本棚の背を順に撫で、まだ開いたことのなかった本を手にした。『開心術と閉心術の関係性―閉心術の魔法としての特異な形―』と銀色で印字された、深い青色の装丁だった。サラザールはオリオンとリドルの背後で、本棚に寄りかかるような姿勢でじっと彼らを観察した。
「そしてヴォルデモートという名を知っていた」
サラザールはぎょっとした。思わずリドルとオリオンの横に回りこみ、彼らの表情を見た。
「それは本当ですか?」
オリオンがわずかに目を見開いている。リドルは顎に手を当て、眉間に皺を刻んでいた。
「選ばれた少数しか知らない、僕の真の名だ・・・・・・これはどういうことなんだ」
リドルは持っていた本を最後まで読まずに乱暴に閉じる。その風で前髪が揺れたが、意に介さず本を仕舞い、また次の本を探した。リドルの視線が背表紙を順に撫でていく。ふと、その動きが止まった。リドルは頭上にある一つの本を凝視していた。そして考えるのもつかの間、それを手に取った。背表紙には『故人の記憶を復元し取り出すことについての研究』とある。
「それは?」
オリオンが訊ねる。リドルは少し考えながら表紙をめくり、珍しく言い淀んだ。
「いや・・・・・・そんなはずはないんだ。しかし・・・・・・無視することはできない」
ぺら、とページが一枚一枚ゆっくりと捲られる。リドルは唇をかみ締めていたが、やがて目を伏せた。
「・・・・・・の記憶にはもう一つ不可解な点があった。彼女の記憶には、まるでその場にいたかのように鮮明な、過去の記憶があった。いや、本当に存在した過去かは断定できない。ただ、そこにいた二人の人物が互いをサラザールとゴドリックと呼んでいた」
サラザールは凍りついた。もしその場にがいたなら、まるで幽霊を見たような顔、と茶化しただろう。そのくらい、サラザールの動揺は大きかった。
まさか――まさか、俺の記憶まで見られたのか。
ありえない話ではない。先日に言ったように、サラザールとの魂はいま非常に近しい関係にある。ならば、開心術による効果が自分にまで及んでいてもおかしくはない。だがそれを瞬時に納得し受け入れられるほど、サラザールは冷静ではなかった。
サラザールは今になって自分が間違ったことを知ったのだ。この男にの情報を引き出させようとするのは危険だと。
「サラザールとゴドリック? それではまるで・・・・・・」
「そうだ。まるで、二人の創始者、サラザール・スリザリンとゴドリック・グリフィンドールのやり取りを見ているかのようだった。しかも、それが本当なら」
またリドルは言葉を切って、前髪をぐしゃぐしゃと掻き揚げた。生徒が見たならばびっくりするような乱暴な手つきだった。
「サラザール・スリザリンは追放されたのでも、離反したのでもなく・・・・・・いや、そんなはずはない。それでは、大前提が崩れる。そんなことはありえない。おそらく、捏造だ。そうでなければ」
リドルはぎりっと奥歯を噛み締めた。
「そうでなければ・・・・・・」
その先はいつまでたっても言葉にされることはなかった。























46.5

出立の挨拶をする時、貴族としての振舞いが崩れそうになった。胸に当てていた帽子を深く被り直し、興奮と解放感に満ちた表情を隠したが、果たしてあれは上手く出来ていただろうか。なるべくゆっくりと乗車口へと歩く間、逸る心を押えるのにどれほどの労力を費やしたか。
十一年間家に縛り付けられてきたアルファードにとって、ホグワーツは自由の象徴だった。
九と四分の三番線ホームは別れを惜しむ生徒と家族でごった返している。すぐ傍にいた同じく新入生らしき少女が、母親にキスをした。
「またね、パパ、ママ」
自分がした挨拶とは随分違うなと思った。オリオンとヴァルブルガ、それの大量のお付きの者を避けるため、わざと用意を手間取ったことによる時間の遅れへの叱咤があって、その後は軽い確認だけである。
「アルファード」
呼び止められて振り向けば、母親と弟のシグナスがにこりともせずに立っている。
「当主候補としての振る舞いを忘れるのではありませんよ」
「・・・・・・はい」
教え込まれた通りの挨拶を行う。この手の処世術もしばらくないかと思うと清々した。
それからも、生徒の出立を何度か見た。その度に、あれはグリフィンドールだ、あれはスリザリンだ、と無意識に判別している自分がいる。
ホグワーツ特急に乗り込むと、ブラックの縁者に出迎えられた。予想していたそれを片手を振るだけで追い払うと、アルファードは一人奥のコンパートメントへと向かった。
「家の外でまで俺に構うなよ」
しかし、それは縁者だけの問題ではなかった。ブラック家というだけで、通り過ぎる個室からさえ囁きが起こる。アルファードは段々鬱屈とした気分になった。長年夢見ていた自由が、何か違うものに変わっていってしまう・・・・・・と、まるで水槽の中から眺めているように、見える景色が遠ざかっていく。
自分をブラック家として扱う者がいる以上、下手な振る舞いはできない。義務を全部脱ぎ捨てられるなどとは思っていなかったが、それでもこの現状には苛立ちを覚えた。
――ここも、延長線上か。どこも一緒だな。
諦めを覚え、アルファードは適当な個室の扉をノックもせずに開けた。
「わあ!?」
驚き固まった女生徒と目が合う。女生徒は慌てふためいてずれた眼鏡を抑え、握っていた杖を懐に隠した。その傍らにはページのよれよれになった『ホグワーツの歴史』が置かれている。
女生徒は顔を赤らめ、眉を吊り上げた。
「ノックくらいしてください! び、吃驚したじゃない!」
アルファードはポカンとしたまま、「ああ、悪い」と反射で言ったが、女生徒にも分かるくらい心が籠っていない。じとっと睨まれ、改めて謝罪した。
「悪かった。ここ、座っていいか」
「・・・・・・どうぞ」
アルファードは座席に座りながら、備え付けの机を見る。その上には灰色の羽が一枚置かれていた。アルファードの視線に気づき、ミネルバはうろたえながら羽をパッと手に取った。それでも視線が付いてくるので、ついに折れてぼそぼそと言う。
「偶然、窓から入ってきて。呪文の練習に丁度良いと思って・・・・・・」
「妖精の呪文か?」
「そ・・・・・・そうよ。苦手なの」
「それなら教えてやれるぞ」
アルファードは無造作に杖を取り出した。
「ウィンガーディアム・レヴィオーサ」
女生徒の手から羽が飛び出し、アルファードの前に滞空する。それをパッと掴み取って、アルファードは日に透かすようにして眇め見る。
「鳩か?」
「すごい!」
女生徒が勢いよく立ち上がった。衝撃で机が音を立て、アルファードは目をぱちくりさせた。
「あなた新入生でしょう? やっぱり予習しちゃうわよね。私も、去年の今頃なんて、ホグワーツに行くのをすごく楽しみにしてて、それでつい、『ホグワーツの歴史』なんて一冊ダメにしちゃって、買い直したのよ」
捲し立てる剣幕に押され、アルファードは「ああ、いや」と言いよどんだ。
「俺は・・・・・・」
「違うの?」
女生徒の目は真っ直ぐで、未来への期待で輝いている。いっそギラギラしているというくらいに、やる気に満ち溢れていた。グリフィンドールだ、と癖で組み分けした。
それから少し考えて、それも面白いかもしれないと思った。
「いや、同じだ。俺もずっと楽しみだった」
アルファードは笑みを漏らし、女生徒もまた表情を明るくした。
自分はスリザリン以外になれないと知っている。与えられる自由は限られた小さなものだ。しかし、グリフィンドールと仲良くするという挑戦、それを行えることはささやかな自由そのものだった。
「私はミネルバ・マクゴナガル。あなたは?」
「アルファード。アルファード・ブラックだよ」
そしてアルファードは羽根と一緒に手を差し出した。


「アルファード!」
駆け寄って来た声の主を見て、アルファードは喉の奥で笑った。読んでいた本を閉じ、顔を上げてミネルバを待つ。息を切らせたミネルバは、アルファードの前まで来て足を止めると、横で眠るを指さして口をパクパクさせ、アルファードを睨みつけた。
「ついに見つかったな」
「な、な、な!?」
ミネルバは息を詰まらせ、しばらく震えていたが、クスクスと笑うアルファードの頭を小突いた。
「ちょっと。私が探しているって、知ってたわね?」
「ああ、悪い」
「・・・・・・相変わらず謝罪に心が籠ってないんだから」
ミネルバはため息を吐くと、眠りこけるの方へと一歩踏み出した。その腕を、アルファードが掴んで止める。
「今回だけは見逃してやってくれるか」
「どうしてアルファードが・・・・・・」
「味方になると約束してしまったんだ」
アルファードはふっと笑みを浮かべ、ミネルバの手を離した。ミネルバは困惑顔で立ち往生していたが、やがて渋々頷く。その代わり説明しろ、と顔に書いてあった。
ミネルバが乱雑に横に座る。こんな所作をするのは他の場所では見ないことだ。アルファードは本を脇に置いて立膝に頬杖を突いた。
「説明するのは良いがな。そもそも、なんでこいつを追いかけてるんだ?」
「それは・・・・・・」ミネルバは一寸言いよどんだ。「名前を知りたくて」
「生徒の名前を覚えきれなかったことへプライドでも傷つけられたのか?」
「違うわよ」
分かっててからかってるでしょ、とミネルバは悪態をついた。
「性悪スリザリン」
「褒め言葉だな」
アルファードはどこ吹く風だ。ミネルバは諦め、話を続けた。
「・・・・・・嬉しいことを言われたから」
「嬉しいこと?」
「そう。だから、名前を教えて欲しかった」
「教えようか?」
アルファードが惚けて言う。ミネルバは真っ直ぐに答えた。
「本人から聞きたいから、いいの。見逃すのは今回だけだから」
そうか、と応じるアルファードは少し楽しげだ。
「うーん・・・・・・」
が寝ぼけて唸り、寝返りを打つ。収まりの良い場所を探しているようだ。ミネルバは呆れていたが、やがて力が抜けたようだった。
「あなたが味方になった理由、分かるような気がするわ」
「ほう?」
「グリフィンドールと仲良くなった次は、生徒じゃない人間だなんて。その隠れた反骨精神は評価に値するわね」
アルファードは肩を竦め、「少しばかり歪んでいるものでね」と嘯いた。























53.5

湿った地下道を進む金髪の男を、アルファードは呼び止める。それだけでは止まらないだろうとローブに手を掛けようとしたところで、存外あっさりと男は振り返った。
「やあ、アルファード。いつぞやは無視したくせに、今日は随分と積極的だね」
軽口には取り合わず、アルファードは眼光を鋭くした。
「アブラクサス。お前、何を考えてる」
「何、とは?」
「あの男がを連れて来いと言ったんだろう。お前に逆らうメリットでもあるのか」
アルファードはその瞬間、背筋にぞっと冷たさが通ったのを感じた。アブラクサスは微笑しているだけなのだが、細めた眼に底知れない悪意が一瞬宿ったように感じられた。
しかしそれらが錯覚であったかのように、アブラクサスは微塵も口調を乱さず、穏やかに答える。
「僕の心配なら必要ない。命令を受けたのはオリオンだからね」
アルファードは眉間にしわを寄せ、鋭く睨み続けている。この男の腹になにもないことを信用する気がなかった。今こそこうして所作が整っていても、昔はもっとあからさまに性格の悪い人間だったからだ。
アブラクサスもその疑念を知っていて、特に弁解しようとはしない。変わらず軽薄に喋り続ける。
「さて、あの女は取り込まれるかな? 我が君が気にかけているから、どんな人間かと不思議だったが・・・・・・」
アブラクサスは地下道の入り口、温室に接する廊下の方に目をやった。
「・・・・・・つまらない人間に見えたがね」
アブラクサスはそれ以上行動を起こしそうにない。アルファードは舌打ちして、アブラクサスの横をすり抜けた。先はスリザリンの談話室になる。
「そっちじゃない」
アブラクサスは、すい、と指を真上に向けた。
「行くなら女子トイレだ。3階、回転階段の先。校長室の前は通らないようにしたまえよ」
「はあ? ・・・・・・一体なんのことだ?」
「アルファード!」
突然、ミネルバの声が反響した。遅れて足音と荒い呼吸も。
グリフィンドールの彼女がこんなところに来ることは滅多にない、アルファードは眉をひそめ、アブラクサスは「あーあ」とでもいいたげに肩を竦めた。
「彼女、しくじったみたいだね」
彼女、が誰を指すのか考えている間に、ミネルバが追いついた。その勢いから焦っているのかとも思ったが、何かおかしい。ミネルバはただおろおろとして、困惑を持て余しているように見える。
「こんなところでどうした?」
「わ、わからない」
ミネルバは珍しく歯切れの悪い言い方をした。
さんっていうのよね? あの人。よくわからないけど、トム・リドル――ほら監督生の、あの人が連れていって。それも変なんだけど、わからないの。でもトム・リドルってあんなだったかしら・・・・・・」
リドルに悪感情を持ってないミネルバだが、おかしい空気は感じ取ったらしく、それを処理仕切れずにいるらしい。ミネルバには、知識が豊富で聡明なことの反動に、自分の知らないものに対して弱い一面があった。
「それで、あの人、さようならって、アルファードによろしくって・・・・・・ねえアルファード? あなたにはどういうことか分かるの?」
アルファードは無意識にこめかみを抑えた。どうしたものか、とは思うものの、それ以上思考が進まない。確実に何かまずい事態になっているとは分かるものの、自分がすべきことがあるのか、そもそも出会って一月もなく、仲が良いとも言えない人物に巻き込まれそうになっている、その全ての騒動の正体がなんなのか――分かることがあまりに少ない。
「あいつが何者かって? 俺も知りたいくらい・・・・・・いや、知りたくないくらいだ」
「友達なんでしょう?」
「違う」
友情は否定する。あれが友達に含まれるなら同寮どころか他寮の人間まで友達になってしまう。しかし、赤の他人ではない。脳裏に出会った頃のの言葉が残っているのも確かだ。
――私の味方になってよ。
「違うが、味方だ」
舌打ちを零しながら、アルファードは隣に目をやる。アブラクサスがにこっと人差し指を上に向けた。
丁度、夕食開始の合図である鐘が鳴った。




















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