01

幽霊を拾った。

そんな彼女の現状を語る前にまず、彼女、の身に降りかかった超常現象とその後の生活についての話をしておこう。
がいわゆるハリポタの世界にトリップしてしまったのは、今から2年前の話だ。
イギリスに旅行している最中だったは、散策をしようと細い路地に入り込んだところで、長たらしい黒いローブを着ている親子を発見した。もファンの端くれ、まるでハリーポッターの世界のようだ! と興奮してしまったのも無理はない話だろう。そして、好奇心の僕たるは当然ながらその親子の後をつけたのだが、これが問題だった。なんとこの親子、電波だったのである。小汚いパブを通り抜けたかと思うと、その先の中庭で木の棒を取り出し壁を突き始めたのだ。お子様はお子様で壁が動いてるだのなんだのと妄想中毒末期症状のような幻覚を見ており、ごっこ遊びもここまで本気だと狂気を感じるものだとは恐れおののいた。しかし――しかしである。これが驚くべきことに、彼らは電波ではなかった。今まで述べたことを引っくり返すようなことを言って恐縮だが本当なのだった。
次の瞬間、歓喜に頬を染めた大変可愛らしい子どもが、壁に突撃したかと思うと消えてしまった。
まるでダイアゴン横丁が真にそこにあるのだと言うように。
・・・・・・ここでの人生は大きく捻じ曲がることになる。
好奇心、それが全てだ。
それがに親子を追いかけさせ、その目にダイアゴン横丁を映させることとなる。
非魔法族、ハリポタ的に言うとマグルなにしてみればレンガが動くことすら目撃できなかったのだが、見えずとも開いている扉を潜ることはできる。この奇跡がを魔法界へと導いたのだ。
がハリポタ世界の実在を理解するのに、そう時間は要らなかった。
勿論混乱していたし、驚きもあった。
しかしそれ以上に、その時のはトリップだとかを自覚はせず、ただハリポタの世界は存在したのだと素直に感動していた。そう、ハリーポッターシリーズがベストセラー化している世界に魔法界が存在するという矛盾、それが発生する事実に気が付かず、ここが自分の世界だと1ミリだって疑いもしなかったのだ。

「リットルさーん」

それから後は怒涛のような展開の連続だった。一度日本に帰ろうとしたが、そもそも時代が噛み合っておらず、未だ戦争中で航空便なんぞ勿論ない。ハリポタの本はこの世に存在しなかったし、という人間もまた出自の怪しい人間でしかなくなったことを彼女は知った。そして、この紆余曲折を経て――結局、は現実を受け入れた。
自分はいつの間にかトリップし、ここは異世界であるのだと。
? どうしたんだい?」
「晩御飯を作りすぎちゃったんだけど、良かったら一緒に食べない?」
そうして今は様々な苦労の後、1LKのアパートを借りて、イギリスにて新しい生活を営んでいる。
「よろこんで。ちなみに何を?」
「ただのミートスパゲッティ」
トリップをしたからといって魔法使いになれることもなかったには、魔法界との関わりも無く。普通の人間として大人しくマグル界に生息し、隣人である笑顔が爽やかで物腰穏やかな青年とたまに交流しながら、ロンドンの片隅で静かにマグルライフを送っている。
しかし、ただ一つ存在する魔法界との瑣末な繋がりを挙げるなら。
は変な魔女だね」
この青年、偽名をトニー・リットルという。


 




















02

偽名の響きの通り、彼はトム・リドルその人であり、魔法使いだった。
は勿論そのことに気がついていたが、彼をリドルとは呼ばないし、彼もまたの名に便宜以外の感情を含んで呼ぶことはない。
とリドルはただの隣人というには距離が近く、友人というには親密さが足りなかった。
その関係を無理に言葉に当て嵌めようとするなら、やはりただの他人ということになってしまう。そんな曖昧で希薄なのに濃密さを伴った関係。
「なんでは魔法を使わないの?」
リドルはを魔法使いだと思っている。彼にしてみれば食器を自らの手で取り出すことさえ不思議に感じるらしい。
「うーん、なんでだろうね。面倒臭いのは嫌いなはずなのに」
は白々しくそう言って、食器を机に並べた。ご飯の用意をしているのである。
は確かに面倒くさがりであったが、それでも魔法が使えたとして、そうも生活に密着した使い方はしたくないと思っていた。便利すぎるものは怠惰や傲慢を生むだけではない。そのうち歩くのさえ嫌になりそうだ、とは魔法使いたちの生活を心の隅で憂った。
「やっぱりは変だよ」
リドルは息を吐いて、が食事の支度をする様子を眺めていた。
・・・・・・リドルがこのような誤解をすることになった理由として、最初の出会いが挙げられる。
まず大前提として、リドルはホグワーツ魔法魔術学校に通う5年生だ。孤児である彼は援助金を利用してこのアパートの一室をレンタルし、夏休みのうちの数週間だけをここで過ごしている。その目的はというと――マグル殺しのための魔法研究とその隠蔽作業。というのはの想像に過ぎないのだが、全く外れているということはない。リドルは「匂い」の弱点を知っているのか、未成年者であるに関わらず日常生活で魔法を使いこなしているのである。どうも、マグルらしさがある生活をすることにさえ嫌悪しているらしい。とはいっても、援助金の額はしれているらしく、何度か嫌そうに孤児院に帰っているようだが。
ともかく、リドルが法を侵し魔法実験を行っているのは間違いない。事実、彼は昨年の夏休みに事件を起こしている。
つまり、を実験の対象にした。
出会い頭にクルーシオを放たれたときは、流石のも肝が冷えた。学生時代にドッジボールで鍛えた反射神経に救われかろうじて避けたものの、見事に冷静さを失い、思わず初対面の青年に対して本気で説教をした。突然なんの恨みもない人間に向かって呪文、しかも磔の呪文をぶっ放すとはどういう了見かと。するとリドルは驚愕で目を見開いた。これにはも驚いたのだが、このクルーシオという呪文、現時点ではマイナー呪文であり、その理論もはっきりしていない為、認知度が恐ろしく低いらしいのである。リドル自身でさえ、この理論追求に今年の夏休みの殆どを捧げたという。
未成年者が校外で何をしているのだという話である。というか、なぜバレない。未成年が魔法を使う場合にはそのニオイによって魔法省に突きとめられるはずなのだが。
これについては、以前、それとなく訊ねたことがある。
「この魔法にはまだニオイがない。非登録なんだからつけようがないだろう? 君、政治には疎いようだね」
ともかく、そこからリドルの誤解は花開いた。自分が長い時間をかけて紐解いたマイナー呪文を、一度見ただけで効果までも見破った、魔法の理論に精通する人物――という恐ろしく壮大なレッテルを貼り付けられたは、しかし、なんだかんだいってはっきりした否定をせずにのらりくらりと生きているのだった。
「リットルさんも、うちでは魔法を使わないんだね」
はコップをリドルに手渡し、リドルの正面にに座った。机の上にはの作った芋中心の料理が並べられている。衝撃の出会い以来、リドルはこうしてに食事に誘われることが何度かあったので、二人は表面上、顔見知り以上に親しい。
一般的な部屋で、一般的な水準の料理を準備し、知人とそれを食べる。諸国に戦争が起きていようと、未来の闇の魔王と相席しようと、日常の平和は揺るがない。
が嫌がるだろう?」
「・・・・・・あなた、人に気を使えたんだ」
失礼だな、と欠片も堪えている様子のないリドル。
彼は誤解が解けた瞬間に私を殺すだろう・・・・・・そうは理解している。リドルにとっては造作もないことで、それを躊躇わせるほどのものをは持っていない。お互いへの興味だけで成り立っている関係の彼女らは、結局のところ他人同士でしかなく、このささやかな日常は、そこに真実が介入すれば音も無く崩れ去るほど脆かった。


 




















03

さて、そろそろ冒頭の話に戻ろう。
がリットル氏と和やかな日々を送っていた夏の終わり、彼女は幽霊を拾った。
性別はオス。年は20代後半程度だろうか。日本人に比べて英国人は大人びた顔をしているため、には年齢が判別できない。
ともかく、成人男性の幽霊だった。色などは全身白く半透明であるため分からないが、長髪を後ろで結わえていて、刃物のような美しい顔立ちをし、短めのローブの中には中世的なひらひらとした衣服と、細身のズボン、そしてその裾をロングブーツに入れている。
「お前、俺が見えるのか?」
「透けておられるようになら見えますが。随分と色素が薄いんですね」
「見えるんだな!?」
の適当な発言に対して一切のツッコミを入れることなく、その人物は、ローブに包まれている身をふわふわ揺らしての方へと飛んでくる。
八月も終わりに近づき、ロンドンでも暑さは和らいだが、未だ陽光は強かった。石畳は白く焼き付けられ、通りの人々は目を細めたり手を翳したりしながら影の中を歩いて行く。ある者は銀行に向かい、ある者は煉瓦の壁と壁の隙間の小路へと入り、ある者は足早にパブを目指していた。馬車よりも車が普及し始めた時代とはいえ、その風景はにとっては過去のものだ。町によっては、時々、シャーロックホームズが居たような時代の面影を見ることさえあった。
にとっては、時代錯誤と感じるようなことも、普通に起こりうる。常識が常識でない場所に生きることにすでに慣れているせいで、幽霊の出現についてもそのような感覚で接していた彼女は、幽霊そのものよりもむしろ、真昼間の明るい大通りにそれがいることに首を傾げていた。
は顎に手を当て、ふむ、と唸った。ローブを着ているということは魔法使いの幽霊だろうと思われるが、魔法界の幽霊は皆に見えるような現世への干渉力の強い特異な存在だったはずだ。ニコラスしかり、ピーブズしかり、実体さえ持ちそうなほどの強さを誇っていたと思うのだが。他者に見えるということにそこまで驚く必要があるのだろうか。
は不思議に思い、思い切ってその疑問を直にぶつけた。その解は、幽霊曰く「俺にはもう力が殆ど残っていないから、波長の合う者にしか見えない」らしい。
「力が残っていない、ということは・・・・・・もう未練がないってことですか?」
が幽霊の回答をゆっくり噛み砕きながら問いかけた。
「いや。未練があるからお前のような・・・・・・俺が見える者を探していた。力が弱まっているのは長い年月を生きすぎたからだろうな」
「生きたっていうか、死んで過ごしていたんでしょうけどね」
「ああ、1000年は彷徨っただろうか」
「へえ、せ・・・・・・せんねん?」
それはまた物凄く古い幽霊だな――感心と呆れを混ぜ合わせつつもは彼を見上げた。顔を見ようとしているのだが、透けて向こうに見えるクリーニング屋の看板が気になって仕方がない。幽霊と見詰め合うのは難しいとは新しい発見をした。
「それで、私に何か?」
そんな関心の欠片もないに対して何を期待しているのか、幽霊はとても真摯に頭を下げた。
「頼む。とり憑かせてくれ」
なんのギャグなんだろう、とは思った。


 




















04

とり憑く云々はともかくとしても、私なんぞにとり憑いたところでこの人の未練とやらは解決に向かうのだろうか。それがの疑問の最たるものだった。
波長の合う者だからを選ぶという点に置いては納得できるが、仮にとり憑いたとして、には地位や資金もなければ人間的な繋がり、所謂コネも無いに等しい。は2年をこの世界で過ごしているだけの新参者だ。
特に忙しい訳ではないから協力してもいい、そうは思っても、出来ることなど限られている。
「とり憑いて何をしたいんですか?」
だからのこの疑問はかなり正当性のあるものだったが、幽霊は驚いたような様子を見せた。普通に話が進んだことが意外だったらしい。確かにの反応には若干ずれている。
しかしは相手の反応をさして気にすることなく、言葉を続けた。
「内容次第では協力しますけれど、私は特に何ができるというわけでもないので」
「いや、そう難しいことじゃない。あるところに連れて行ってもらいたいだけだ。そこには魔力も溢れているし、しばらく滞在すれば俺の魔力もある程度回復するだろう。その後は自分でどうにかしてみせるさ」
確かに、その程度なら難しくないだろう。1000年彷徨っているわりに願うことがお粗末だな、とは内心で呆れたが、それよりもまず目の前にある面白そうなものに心を奪われていた。つまり、そう、幽霊という非現実的なものと会い見え、それに必要とされている事実。リドルも確かに魔法に深く関わる人物であったが、過ごす時間は日常的なものであったため、特別という感覚がには殆どなかった。だからこそ、この出会いには心が躍った。
しかし、好奇心に対する姿勢が人一倍単純なであっても、他に生じるその他諸々の現実的事情を全て無視することは出来なかった。
幽霊の言い分では、もはや力を殆ど失っている自分では辿り着けない場所、そこに自分を連れて行ってほしい、そして魔力が回復するまでそこにいさせろということだった。とり憑くというのは、そこまで幽霊を運ぶためにに必要な行為なのだろう。
この幽霊を自らに憑け、ある場所に連れて行く。そこまではいい。だが、滞在するとなると、場所にもよるがそれなりの面倒もあった。まず第一に、今している仕事をやめなければならなかったし、滞在期間によっては仮住まいも用意しなければならない。
ともかく場所を聞かないことには判断が出来ない・・・・・・はそこまでで一端思考を止め、再び幽霊を見上げた。やはり幽霊はひどく真剣な眼差しをしている。
「ちなみにあるところ、とは?」
「ホグワーツ魔法魔術学校だ。場所は分かるだろう?」
見たところまだ学生じゃないか?と言い放った幽霊に対して、はコメディアンのように大げさに肩を竦めてやりたい気持ちになった。困惑や混乱というよりは、呆れや哀れみに近い。要するに、掛ける言葉がない。
ホグワーツに行くだけの簡単なお仕事、とでも言い出しそうな顔を見つめながら、真実とはどう告げるべきものかと思案した。まず第一には既に成人しているし、ホグワーツの場所なんか知らないし、そこの学生だった過去もない。
あまつさえ、
「・・・・・・あの」
「なんだ?」
「私、マグルですよ」
この勘違いも二人目でうんざりしていたとはいえ、あまりの間抜け面に憐れみすら覚えた瞬間だった。


 




















05

「それはその・・・・・・」
「マグル生まれという意味ではなく、非魔法族という意味です」
は相手の言葉の先をかすめ取って、希望の隅々までを粉砕し否定してやった。謀って行った破壊行動ではないが、包むオブラートがなかったのだから仕方がないことではある。
幽霊はしばし呆然としたあと、ぎゅっと眉を寄せて思案し始めた。
「妙な空気を纏っているから分かり辛いが、魔力はない・・・・・・のか?」
「ええ、これっぽっちも」
「ホグワーツにも入れない?」
「おそらくは」
それからというもの、幽霊の反応はそれはそれは可哀想なものだった。当然だろう、長い年月を彷徨ってようやく自分を認知できる人間を見つけたと思ったら、単純な望みすら果たせないような非力な輩だったのだから。
とて、止むを得ず完膚なきまでに叩きのめしてしまったが、別に幽霊が憎いわけではないし、出来ることなら手助けしてやりたいと思っている。まあ面倒くさがりながそう思うには当然裏があって、魔法界への興味意外の純粋な優しさは殆ど無いと言っていい。
「でも」
そうだな、せっかくだから・・・・・・。
「完全に望みがないという訳ではありませんよ」
好奇心の為に働くのも悪くはない。は出来る限り優しく見える笑顔を使った。


「それで? どうしてそういう流れになったの?」
「ちょっとね、ホグワーツに保管されてるらしいとある魔法器具に用事があるの」
「だから連れて行って欲しいって?」
リドルは今日の夕食、が作った肉の少ない肉じゃがを箸で器用に食べながら、呆れを前面に押し出した。
現在地はアパートのの部屋だ。こんな危険人物を日常的に自らの部屋に招くとは、と賢人には罵倒されそうだが、だからと言ってリドルの部屋へ行くというのはもっと無理がある。そもそもリドルが自分のプライベートを侵させるはずがない。彼の部屋の内部など、家具の位置どころか家具があるのかどうかさえ不明だ。しかし、同じくも領域は侵されていない。ダンボールを数個と必要最低限の家具しかない部屋は、部屋と言うより空間に近くわりにあっさりとしている。
また、例えその奥に何か隠していようと、リドルはそれを探りはしないだろう。領域を侵すことは、侵されることを了承するに等しいからだ。
「出来れば秘密裏に。・・・・・・ダメ?」
「ダメっていうか・・・・・・」
モグモグとジャガイモを租借する未来の魔王様は、こうして見るとただの美しい青年だった。ほぼ初めてに近い箸を見よう見真似で使いこなすところなんかが憎らしい、とは思う。
ぼんやり様子を観察しながら肉を頬張っているは、頼み込む姿勢でありながらも全くの真剣味がなかった。隣に佇む幽霊のように切羽詰ってなどいない。頼んではいるものの、もし実現したら面白そうだなあと思うだけで、どちらに転ぼうとが損をするわけではないし、困る理由もないのだから。
しかしながら、その態度で頼み込まれる方は流石に困惑していた。
「そんなどうでも良さそうに頼まれても。そもそも『とある魔法器具』ってなに」
また一つジャガイモが彼の口に収まった。美味しいよという上辺だけの褒め言葉は既に受け取ってある。
ともあれ、あの嘘はやはり胡散臭かったらしい。心なしか、彼の透き通った目が疑わしいと言っている。
「隠し部屋に保管されているとされる創始者の遺物」
と、悟っても引かないのがである。嘘というのは塗り固め重ね掛けすることが可能な便利道具だ。
「へえ」
の予想以上に食いついたリドルは、他人には取り繕うはずのエグい笑みを遠慮なく晒しながら箸を置いた。
「それ、おこぼれは貰えるのかい?」
それに対する答えには勿論――便利道具が用いられましたとも。


 




















06

リドルが食器をさげるためにキッチンへと引っ込むのを見送りながら、は落ち着かない様子でいる幽霊に声を掛けた。
「良かったね」
もはや敬語も止めたに対して、幽霊も同じように初対面の相手への遠慮を失っていた。
「なにがだ。お前の良く回る舌には呆れを通り越して感心したぞ」
誰の為に回したと思っているのか。は拗ねて見せようかとも思ったが、実際にはどうとも思っていなかったのでやめた。
なんだかんだ言いつつにとり憑くことにしたらしい幽霊は、整った顔を・・・・・・といっても、には外国人が大体皆整った顔に見えているのだが、それでも幽霊の顔は際立って美しかった。ともかく幽霊はそれを歪ませて盛大に溜息をついた。先行きが不安になったらしい。人の好意を存分に使っておいて随分な言い草ではある。親切をこうも邪険に扱われては流石のも切ない気持ちでいっぱいになる。というのは勿論の嘘だった。
「目的が達成されるのなら、その工程に文句をつけるものじゃないよ」
やはり滑りの良い口で適当に言いつくろう途中、ふと思い至った。
「そういえば・・・・・・あなた、名前は?」
あまりにも今更だ。ついさっき会ったばかりではあるが、協力関係にある上に旧知の仲のような会話をしておいて、名前も知らないとはお笑い種である。しかしきちんとした自己紹介の遣り取りもそれこそ『今更』臭い。面倒になったが思いついたまま投げやりに聞くと、幽霊は「微塵も興味なさそうに聞くな」と不快げな顔をした。
「・・・・・・サラザールだ。サラザール=スリザリン」
は驚くより先に、それは確かに年季物の幽霊だと納得した。


「なにボサッとしてるの」
しばらくしてキッチンから顔を出したリドルは、ある意味虚空と呼ぶべき部分を見つめているを見、溜息をついた。
「まったく・・・・・・食器、洗っといたから」
どうでもいいけど魔王様とのお食事風景にしては平和だよなあ、とは考えていた。


 




















07

生憎の雨だ。
特に不都合があるわけでも行動を制限されたわけでもないので、そう表現すべきかは疑問だが・・・・・・鬱陶しいことには違いなかったのでこれでいいだろう。
とにかく、たちの記念すべき旅立ちは雨の日だった。
「着いたよ」
リドルの言葉に補足をつけるなら、ホグワーツの寮のリドルの部屋に、だ。
創始者の遺物を分け与えることを代償に協力を得たとサラザールは、夏休みが終わってすぐにホグワーツへ向かった。
道中は列車に揺られ橋の上から緑を見下ろしたり、ホグワーツの素晴らしい外観に感嘆の声を上げたり、もしくは空飛ぶ車で遊覧飛行したり・・・・・・などということは一切なく、それはもうシンプルな旅だった。
説明すると、リドルの旅行カバンの中(1LDK並みの広さ)で過ごし、出て良いよと言われた時には彼の部屋、というものである。拍子抜けなくらいあっさりとした潜入だ。
「ザルすぎる・・・・・・」
まるで留守の家に窓から侵入した泥棒が、実は玄関の鍵が開いていたと知ったときのようなセリフをは呟いた。時代的には闇の帝王が暴れる前であることだし、この緩さが当然なのかもしれないが・・・・・・都合は良いはずなのに心配になる。お粗末な警備の美術館に入った怪盗の気持ちもこのようなものだろうか。
寮部屋は十畳ほどで、本棚と天蓋付きベッドが二つずつあり、真ん中に薄い壁の仕切りがある。当然スリザリン寮なので、壁は地下のひんやりした雰囲気を助長させる石造り。家具や絨毯などを全て撤去すれば閉塞感この上ないだろう。窓が無いために時間を感じさせる要素が不足しているのも問題だ。たった今リドルが寮に戻ってきたなら、時間帯は組み分けも食事も何もかも終わった夜なのだろうが、一日中トランクの中に居たの身からしてみればもう少し開放感が欲しいところだった。
リドルは+αがトランクから出るのを手伝った後、ベットの脇にドサリと腰を下ろした。あまりに普通に使用しているが、天蓋付きベッドなどは人生で初めて拝んだくらいだ・・・・・・が、真に驚くべきことはそれでない。
ここが二人部屋だということである。
、彼が同室の人」
は不覚にも、そこに生じた別の事態にすぐさま反応することができなかった。愚かにも、このお先真っ暗な将来を保障されている輩が、他者と同じ部屋で生活するなどありえない、という無意識の仮定を思い込んでいたのだった。
思わず呆けた顔を示された方向に晒してしまったのが良い証拠だ。
壁の向こうからその人物は現れた。リドルと同じくらい黒い髪に、ハンサムとしか言い様のないくらい整った顔。リドルの顔はどちらかと言えば華やかで笑みが似合うものだが、こちらは色素の少ない、澄んだ空気があった。切れ眼がその美しさをより攻撃的で鋭いものへと昇華させている。
見る、というよりは吟味、鑑定だろうか。その眼は驚くほど冷たくを射抜いていた。
「・・・・・・それは何です?」
発言したのは彼で、『それ』呼ばわりされたのは勿論である。
対してリドルは、優等生の鏡と呼ぶべき笑顔だ。
「僕の客人だから大事に扱ってね、オリオン」
どういう部屋割り制度でそうなったのか、「貴方様がそうおっしゃるのなら」・・・・・・たかが二年程度の先輩に使うような敬語でないところも指摘すべきところだが、それは置いておくとしても。
彼、オリオン・ブラックは――未来、シリウスの父親となる人物であった。


 




















08

「飽きた」
ブラック家次期当主と闇の帝王の関係が育まれた環境を目撃してから早三日、つまりホグワーツ滞在三日目にして、は現状に慣れきってしまっていた。リドルが共同生活に甘んじているという事実は、未来の日刊予言者新聞に投稿すれば一面を飾ると確信する程驚いたが、驚いただけだ。何があるというわけではない。
その上、オリオンはリドルの客人であるに礼節を尽くし、その美麗な顔を不機嫌で彩りながらも良くしてくれるので、つまらないのである。本来なら彼のような人こその好む人種で、優秀でありながら目的に一途で周りを省みないという面白い人なのだが、如何せん交流を持ってくれない。話しかければ、「我が君の許可がない限り話せることはありません」の一点張りだ。お前はRPGの城に住む大臣かとは言いたかった。リドルが授業に出ているというのに椅子に掛けたまま身動きせず本を読んでいるところからして、CPUという可能性も高い。
あまりにつまらないので、今ではほんの少しのからかいを込めて、オリオンにご飯、それも日本食を取ってこさせる始末だった。リットルさんのせいで私と彼の間にまで上下関係が固定されてしまって、とはオリオンの心痛を慮った。
ちなみにそんなオリオンがなぜリドルと同室なのかというと、リドルより2年遅れて入学した彼が、元々リドルの同室だった人に頼み込んで(もといお金を握らせて)交代してもらった、というのが真実だそうだ。忠誠心もここまで来るとぞっとするなあと、他人事ではあっても思わずにはいられない。
ともかくも、は今現在暇なのだ。
暇を潰そうにも、本棚に並ぶのはおどろおどろしい表紙の魔術書の山。いつも一人で校内徘徊に行くサラザール(と言っても、とり憑いているから離れられる距離は決まっているらしく、自由に散策できないことにイラついているらしい)が珍しく部屋にいたが、会話しようにもオリオンがいる為に滅多なことが出来ず、どちらにせよ同じことだった。
部屋に不在だからとリドルのベッドを占領し転がっているものの、手持ち無沙汰で仕方がない。
そもそもには目的がない。これは完全にサラザールの私用で、どれほどの日数を要するのかも分からない長期滞在。先のない引きこもり生活に飽きるのも当然の話だろう。
考えてみれば、リドルには創始者の遺産探しだと嘘をついたはずだった。このまま引きこもっているだけではリドルにすら疑われかねない。これはにとって由々しき事態だった。
「何をしているんです」
ということで外に出ようと思うんです。と言って理解させるにはの独り言の内容が乏しかったので、監視役を担っているらしいオリオンに、はたった今した行動の部分だけを端的に説明しておくことにした。
「リットルさんのローブとタイを借りようと思って」
「・・・・・・は?」
未知の物体を見るような顔だった。魔法使いの理解が及ばない存在になれるとは光栄の極みだ、とは思った。
「私、少し探索に出掛けるから。リットルさんは了承済みだよ。元々そういう目的でここに連れてきてもらったんだから」
監視としての任務を全うするため制止を口にしかけたオリオンは、リドルの名前を出すと途端に切り返しに詰まった。に監視していることを悟られるのは仕方ないにしても、表立って「監視させろ!」とは言えないのだろう。の目的を阻害、あるいは追跡することはリドルの範疇外だ。リドルの範疇外ということは、同時にオリオンの範疇外でもある。どうあっても口出しは出来ない。又、こっそり後をつけられたとして、サラザールが気付ける為問題はなかった。
「じゃあ行ってくるから。ああそうだ、寮の合言葉教えて」
の言葉に渋々ながらオリオンは従った。必要事項を述べながら、始終「こいつを外に出してもいいのか、そもそもリットルさんとはなんだ」という文章が貼り付けられている、と比喩していいくらいには顔に動揺が染み出ている。が、の様子を逐一リドルに報告しているらしい彼を連れて出るような、そんな愚かな真似をがするはずがないのもまた道理というものだ。
リドルのローブとタイを当然の如く身につけたに文句一つ言えないオリオンは、哀れといえば哀れである。
「今日の晩御飯は牛丼をよろしくね」
かくしては一人と幽霊一匹とで架空の世界文化遺産巡りに出かけたのだった。


 

















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