09

は好奇心には忠実だが危険を省みない愚か者ではない。だから勿論、リドルの部屋を無理矢理に出て散策に至ったのには暇つぶし以外の理由がある。
「滞在はおそらく二ヶ月ほどだ」
理由、つまり・・・・・・なぜそうする必要があったか。それはオリオンという同室の人物がいて、がサラザールとしなければならない重要な会話をする機会が得られなかったからだった。
「二ヶ月か。思ったよりも短いね」
大まかに纏めると、が自身の今後について思考する際に二つのポイントがある。
先ほど答えを得た問題点――ここに滞在するのはどれほどの期間になりそうか? それがまず重要な一点。
そしてもう一つは、どうやって帰るのか? という問題についてだ。
行きは、始業式と共にリドルに連れてきてもらうだけだった。しかし帰りとなると話は別だ。一年間ここに滞在するわけでもなし、ましてあのリドルが休暇などに孤児院へ帰るはずもない。リドルを頼ることは難しく、重要なのは出立するタイミングであり、その日までに対策を練る必要があるのは明白だった。
「・・・・・・なぜ何も聞かない?」
だから先ほどサラザールがその期間を二ヶ月と提示したときに、そこまで言及できるだろうとは考えていた。しかしサラザールは、その話よりも自らの疑問を解決したかったらしい。唐突に会話の内容をすり替えた。非協力的な奴だなあと思いつつも責めないでおいたのは、もまた協調性というものを欠片も持っていないからだった。
は滞在が二ヶ月と設定されたことと、その中途半端さではホグワーツ特急を利用できないということを記憶して、それから返事をした。
「何も、とは?」
「とぼけるな。俺の話の矛盾に、お前はとっくに気が付いているのだろう?」
授業中なのだろう、誰もいない廊下は余りに静かで、サラザールの声は必要以上に反響した。それでも、その声を聴けるのは自分だけなのだから、にとっては不思議な話だった。
そう、サラザールは幽霊だ。直接的に表現するなら"死んでいる"。
10世紀も前に生きた人間。中世に生き、ホグワーツの創始者となったが離反した。
おそらく、がここまでの情報を持っているということすら彼は知らない。だからもわざわざそれを覆すことはしなかったし、必要以上の情報を求めたりもしなかった。
だが、少しだけ聞きたいとは思う。
1000年前、サラザールが仲間達と何を思いこの学校を作ろうとしたのかを。
「・・・・・・そうね」
軽々しく聞こえるその年数は、実際にはとてつもなく長い。もし日本を例にするなら、聖徳太子が江戸時代初期まで生きるようなもの。つまり彼と徳川将軍が出会えるような年月だ。生身の人間が生きるにも、幽霊として存在するのにも、あまりに長すぎる。
は少しだけサラザールという人間と真剣に向き合ってみたくなった。サラザールが何を問おうとしているのかをは知っている。だからこそ、二人の間にある少なからぬ虚構をはぐらかし続けることだってできる。しかし、それをするにははサラザールを気に入りすぎた。
は言葉を選ぶようにして言った。
「ここに来たいってだけの望みなら、なにも1000年彷徨う必要はない。あなたの口ぶりだと、長い時を彷徨い続けたから力を失ったのであって、何年か前までは力があったのよね? だったらこんなところくらい自分一人でだって軽々と来られたはず。じゃあなぜ今頃になって私を頼ってきたか。おそらく・・・・・・あなたには最近になってホグワーツにいる必要が生じた。もしくはここで行うべき別の目的ができたのかもしれない。どちらにせよそこにあなたの嘘があったのは事実だ。そして嘘をつくのには理由がある・・・・・・あなたは私のように虚言癖の気はないようだしね。疑問があるとすればその点について、かな?」
斜め上にある透けた顔を見やれば、眉間に皺が寄っていたものの否定をする気配はない。それは確かにが述べた疑問点が存在することを意味する。
「やはり、ただの考え無しではないのか」
褒めているのかどうかも曖昧な発言は軽く流して散策を再開したに、サラザールは黙って付いてくるだけだった。が無理にそれを聞きださないだろうことを、サラザールもまたこの短い付き合いの中で悟ったのだろう。
「さて、それよりも問題はリットルさんについた嘘の方・・・・・・」
サラザールはまだ私に何かを望んでいる――そうは直感している。それが何なのかは分からない。
サラザール自身ではなく、サラザールが見える人間・・・・・・この場合ではをホグワーツに連れてくることが目的だったのか。もしくは魔力を回復した後にに用があるのか。それらとは全く違う別の望みがあるのか。憶測に過ぎない想像しか出来ない現状でただ思うのは、厄介なものを拾ったという後悔、それくらいだ。
「我ながら丁度良い嘘だと評価したいくらいなんだけどね。サラザール、ここの隠し部屋かなにか知ってるでしょ? 創始者の遺産、リットルさんにちょっと分けてやってよ」
「・・・・・・お前な」
「しばらく探してるフリして、二ヵ月後くらいにあなたの案内でリットルさんを連れて行けばいいでしょ。うん、見事な計画」
引きつっているサラザールの顔を眺め楽しみながら、丁度授業が終わったのだろう、騒がしくなってきた廊下の奥には意識を向けた。
なんにせよ、ことが起こるのは二ヶ月後だ。
時間は多くある。暇つぶしにも困らないだろう。は、サラザールに比べるとささやかだろう企みを隠す。与えられたしばらくの猶予は、この隠し事の多い相方弄りでもしよう、と。


 




















10

昼下がりの廊下。胡散臭い笑みを顔に貼り付け、同級生と和やかに交流していたリドルは、散策中のの存在に気がついた瞬間いっそ見事なくらいに顔を引きつらせた。
「ん? ・・・・・・なあリドル、あんな奴いたっけ?」
首を傾げる彼の同級生は、がスリザリンのネクタイ――もちろんリドルの物だが――をつけているのを見て不思議そうな顔をする。上級生かな、などと見当違いの推測を口にする様子は、面白いの一言に尽きる。
考え込む同級生に対し、リドルは一瞬で笑顔を構築した。そして「そうだろうね」と尤もらしく同意する。リドルにそのように同意されたならば、それがどのようにありえない事象であってもありうることと錯覚してしまうだろう。
はリドルを困らせようとしていたわけではない。リドルと遭遇してしまったのは偶然だ。しかし、リドルの珍しく焦りを感じる反応に、ついつい悪乗りをしたくなる心を抑えきれないのだった。
は火のついた苛虐心を理由に、リドル自身を模倣した似非笑顔でさも親しげに手を振ってみた。
しかし、リドルの優秀さはの予想を超えていた。リドルはをまるでありふれた自身のファンのように扱い、さらりと手を振り返して受け流すと、迅速な判断で友人もどきの意識を別の方向へと向け、廊下を曲がった。は感嘆してそれを見送ったが、歩みを再開するや否やというときに、もう一度正面の廊下からやってきたリドルに捕まった。どうやら同級生たちとは早急に別れたらしい。急ぎ足で正面から歩み寄ってきたリドルは通り過ぎざまにを細い通路に引き込むと、傍の扉をさっと開けて空き教室に押し込んだ。その間凡そ二十秒。非常事態への非の打ち所のない対応には感心するばかりだった。
「・・・・・・、何をしているんだい」
やや疲れの残った表情のリドルは、なるほど確かにサラザールに似ている。は目元などに残る面影に、遺伝というものの強さを感じていた。
先ほどリドルに掴まれた腕は既に解放されている。はにこりと笑った。
「やだな、迎えにきてあげたに決まってるじゃない」
「何をしていたって?」
「・・・・・・ただのおさんぽ。隠し部屋の在り処も調べなきゃいけないことだし」
冗談が通じないと悟り、手段を嘘に切り替えたに向かって、リドルは小さく溜息をついた。彼は案外苦労性なのかもしれないとは思った。実際、周りとの調和を乱さないように、しかし確実に支配領域を増やすのに苦心していたのだから、リドルの苦労や努力は絶えないだろう。
リドルは前髪を掻き揚げ、額を押さえるようにした。
「とにかく、他の生徒がいるときに不用意に僕に接触しないように。隠し部屋を探すのは夜にしてくれ。いいね?」
いままで努力し優等生として振舞ってきたのを、という異分子のせいで無駄にされたくないのは当たり前のことだろう。もからかいすぎたことを申し訳なくは思っているので、「どうせ言っても無駄だろうな」という諦めが混じった口調をあえて指摘しなかった。こういう場合は殊勝に頷くが吉なのだ。
「分かってくれたらいい」
の薄っぺらな反省に妥協したリドルは、意味のない約束を結び直そうとはせず、に背を向けた。寮に戻ろうとしているようだった。長い間使われていなかったらしい空き部屋の埃を踏みしめ、ドアノブを握り直す。もまた、散策を終えるためにリドルに続いた。はがらくたが積み上げられている棚や机の上、箱の中の本などに視線を移しながら、リドルの斜め後ろに立ちドアを開かれるのを待った。
しかし、リドルは半分ほど回したノブを握ったまま、行動を停止していた。は彷徨わせていた視線をリドルの背、首筋あたりへと移した。
同時に退室してほしくないのだろうか。は考えたが、どうやら違うらしい。リドルは半歩身を引いて、を振り返り見た。開かれた口は躊躇いがちに「」と呟く。
「なに?」
問われると、リドルは少しだけ眼を伏せて、口の端だけで微笑んだ。
「聞こえていたのかい?」
それが中途半端な演技だったことには戸惑った。リドルはの前で演技を崩さない。への演技の種類は普通と違って、優等生ぶるのではなく、普段は優等生ぶっている少し性格の悪い人間、というスタンスだった。程度の低い歪みを見せるという、二重の演技だ。本来なら騙されていたのを、はリドルの本性を知識として知っているから、演技なのだと分かっている。普通ならば気づかないだろうことも、だからこそ察することができるのだ。しかし今、その優位さを失うような錯覚をは覚えた。リドルの表情が嘘か本当かを判別できなかったのだ。本当に演技を崩したのか、演技を崩したという演技なのか・・・・・・。いつもなら全てを嘘だと片付けてしまうも、今の憂いは本当のものではないかと思ってしまった。
「何が?」
幸か不幸か、には質問の意味が分かった。だからこそ、聞くことをリドルが本当に躊躇ったのかどうか、それを知ることを恐れた。
は、自分にとってのサラザールがそうなりかけているように、リドルをこれ以上気に入ってしまうわけにはいかなかった。今ならまだ踏み込まずにいることができる。知らないふりも聞こえなかったふりも彼女の得意分野だった。そんなのはもう慣れきったことなのだ。だから、いつもどおり自然に、無知を示せばいい。騙されたふりをしよう。これはふりだ。演技だ。本当は騙されてなどいない。そう、思わねばならない。心では分かっている。だから今から使う哀れみも優しさも全てはリドルの為の嘘だ。そう心に前置きして、はリドルの美しい横顔を見上げた。
「・・・・・・僕は」
薄く開かれた唇が動くのを、は制した。
「帰ろうよ、リットルさん」
リドルは、彼の偽名を強調した私に気づいたろうか――は先ほどのリドルのように、ほんの少しの微笑みを浮かべていた。おそらく、気づいてもその意味を理解することはリドルにはできない。リドルは私のことを何も知らない。そして私もまた、リドルと同じように無知な筈なのだ。リドルがマグルに深い憎悪を抱いていることも、実際に殺すつもりでいることも、将来それを実行するだろうことも、その布石として優等生ぶっていることも、同級生を騙していることも、その同級生が彼を「リドル」と呼んだことも。だからそれをリドルの為に全部忘れるし知らないままでいてあげる――。
「きっとオリオンが待ってる」
だからあなたは"リットルさん"のままでいてくれと、言葉で伝えられたならどんなに簡単だっただろう。


 




















11

にとってのリドルは興味対象でなければならなかった。それは、二人が知り合って一年ほど経った頃、がリドルから彼の境遇についての話を聞いたとき、心に誓ったことだった。
「僕は孤児院で生まれた。母は身篭った後、当てもなく世を彷徨ってそこに行きついたようだ。そして僕を生んで死んだ」
リドルは自身のことを話すことを良しとしなかったため、彼からまともに過去についてを聞き出したのはその時だけだったように思う。それも、大した情報ではないのだから、リドルの心の閉ざし方は尋常ではなかったと言えるだろう。
リドルはその時、声に侮蔑を含んでいた。孤児院についてにも、母親についてにも、始終それは薄く延びたようにあったのだが、それが一際濃かったのはそのどれでもなく、死についてを口にした時だった。
はこれに気がついてしまったとき、真っ先に後悔をした。自らの観察力をこれほどまでに恨んだことは、生涯で初めてだった。次に想像をした。リドルが死を軽蔑する理由と、それによって生じるものについて。そして最後に、考えたすべてと、リドルに対して抱きそうになってしまった感情を閉ざした。
は恐れた。は同情というものに漠然とした嫌悪を抱いているのだが、それでもリドルを哀れみそうになった。なぜなら、リドルはこの世に救いを見出さない。それなのに死すらも軽蔑している。つまり、リドルは完全に得るものがないままに、憎しみだけを抱いて存在し続けるしかない。その、出口のない環を巡り続けるようなリドルの、心の一つ一つがどうしようもなく虚しかった。
魅入られてはいけない。この闇の中に誘われてはならない。リドルの憎しみに引き摺られて自分の感情を見失ってはならない。そう自分を制しなければ、はリドルに関わることができなかった。だからこそ、はリドルへの思いを全て好奇心とするしかなかった。
ある意味、魔法界に対して異常なほど肯定的に行動したのも、この好奇心を真実にするためだったのかもしれない。
リドルに人間性を見出すことを、は自らに禁じた。
「なるほど、リットルさんは結構可哀想なんだね」
憐憫がないということを表すのには憐憫の言葉が一番有用だということ。それがにとっては一番の皮肉だったかもしれない。
はやっぱり変は魔女だ」
リドルは笑った。机上の蝋燭の火が暗い部屋の中で不安定に揺れていた。
「きっと」は言った。「私はリットルさんのことを一生知らないままでいるだろうね」
「どういう意味だい?」
「例えばリットルさんに贈り物をしなければならなかったとして、私はそれを選べないと思う。そして、これから先も選べるようになることはない。そういうことが、とても鮮明に想像できるんだ。私がたとえ記号的な事実や経歴を全て余すことなく知ることができても、リットルさんは永遠に私の知らない人なんだ。なんとなく、そう思うよ」
ソファに腰掛けていたリドルはゆったりとした動作で頬杖をついて苦笑をした。
「つまり、僕がらしくもなく自分のことを語ったことで、君は逆に僕のことが分からなくなって混乱したのかい?」
リドルの見解は、の飛躍した話を見事に包括していた。はそこにずれがあることに感謝をして頷いた。
「そうかもしれない」
は煉瓦造りの壁に背を預け、身を縮こめるようにして足を抱え込んだ。大窓の傍で、月明かりがの半身だけを照らした。壁に触れている部分からは冷気が伝い降りている。蝋燭に伸ばされた真っ黒な影が、煉瓦の凹凸に沿って歪む。独特の湿気た匂いが薄く漂っていた。
は暫く黙っていたが、やがて顔を上げて、いつものように楽しいことだけを追う人間になった。
「結局、私は常にリットルさんの他人であるということよね。それってすごく素敵じゃない? リットルさんが私のことを知らないままでいてくれるのなら、私はリットルさんのことを何も知らないままでいてあげる。私たちはずっと他人だ。お互いに、本当の自分なんて居ないという顔をして、失うものも変わるものも何もなく、絶対に理解し合わない。いつだって、昨日今日名前を知ったというだけの関係でありつづける。そういうのはどう?」
「よく分からないな」
「リットルさんに分からないことなんてあるの?」
はリドルに理解できないことがこの世には存在することを知っていて、嘯いた。
リドルは諦めたようにふっと表情を和らげた。
「・・・・・・面白いよ、とても」
「でしょう?」
リドルの苦笑が深くなる。
「だからそれを約束にしよう」
「約束?」
「不可侵条約」
が小指を差し出すと、リドルは呆れた風に笑い、身を少し屈めて右手を彼女に差し出した。小指以外を緩く握った手は驚くほど白い。
「私たち、他人でいましょう」
恋人が別れるときの文句のようなものを口にしたの小指に、リドルは自らのを絡めた。
「ああ。君が誰だか知らないが、そうしよう、
は自らと約束をするためにリドルを利用し、リドルは自分にを踏み込ませないためにこれを了承した。どちらも、の側にしか契りを課さなかったのである。その偏りを、二人はまだ知らなかった。
このとき、が作り上げた好奇心は半分本物で半分嘘だったわけだが、リドルは皮肉にも好奇心以外の何物も持っていなかった。にとっての好奇心は可算されるものであって、リドルにとってのそれは使い捨てだということからして、まるで噛み合っていない。しかし、偶然にも互いに共通していたのは、この約束をただの気休めだと侮っていることだった。
絡み合った指先は火に照らされて浮かび上がる。壁に張り付いた影は魔物のように歪だった。
しかし傍目には、まるで子ども同士の戯れのようだった。


 




















12

結局はリドルに押し込まれた空き部屋に一人残った。話しているうちに、生徒たちは夕食の為にと広間へ移動し始めていたのだった。リドルは夕食をサボるだけですら取り巻きが煩くなるため、もう一度に他の生徒たちに見つからないよう言い含めると、大広間へ向かった。
はリドルが去ると小さく溜息を付いて、比較的埃の少ないソファーに座った。リドルに借りたローブは、既に裾が白くなっていた。
床にはまさに絨毯のように埃が積もっていた。入り口付近とソファの近くだけは足跡やごわごわと塊になっている埃があったが、その他は積もったばかりの雪のように整然としている。棚の段ひとつひとつや本の隙間と隙間、掛けられている絵画の額、その掘り込みにまで、余すことなく鈍い白色がかぶさっていた。その不衛生な絵画の中では、紫色のドレスを着た貴婦人が優雅に茶を喫している。
サラザールはの斜め前辺りで不機嫌そうに腕を組むと、同じように絵画を見上げた。
「お前はなぜ、あのリットルなどという人間に関わる?」
は思わず噴き出した。
「そうなったのはサラザールの為に協力してもらったからじゃない」
サラザールは顔を顰めてしばし黙り込んだが、そのまま話を終わらせようとはしなかった。
「お前があの人間と親しくなろうとしているようには見えない。しかし装いだけはお互いに近しい。そんな虚ろな関係でいて、そうであるのに時折心を交し合うように、何かを通じ合っている瞬間がある。感情のあり方がちぐはぐだ」
「どういうことか、いまいち分からないわね」
「お前には確固たる意志がない。あの人間を警戒しているくせに、それを貫く意志がないから身を守る姿勢が曖昧で中途半端だ。本当にお前がお前を守りたいと思うのなら、あれには近寄らないほうがいい」
サラザールの見解は鋭く真実を突いていた。は自覚していることへの説教を聞かされ、「分かっているわよ」とあしらいたくなった。しかしそれを言えば苛々とした口調になってしまうだろうと思って、小さく溜息をつくに留めた。
「それは忠告?」
「ああ」
肯定したサラザールは思いのほか真剣な顔をしていた。
は茶化した。
「あなたが私に忠告するとはどういう流れなのかな。私が心配?」
「うぬぼれるな」
サラザールは吐き捨てた。苦虫を噛み潰し飲み下したような表情で、は予想していたとは言え笑いが漏れるのを抑えられなかった。
サラザールはにからかわれていることを自覚していたので、更に眉間の皺を濃くし、あてつけるように言った。
「お前の見ているものは側面にすぎない。それを忘れるな」
あなたが見ているものだって側面だろう、とは思ったが指摘はできなかった。
リドルという歪んだ子どもの、将来の像でも予想されてしまったのだろうか・・・・・・はこのように警戒されているのを見ると、リドルに危うさを感じ取っているのは自分だけではないのだと、改めて思い知らされた。そして一年前の夜、自らに負わせた約束の綻びをひっそりと繕いなおすのだった。
はサラザールから眼を逸らして呟くように言った。
「・・・・・・自分の子孫をそんなにボロクソに言うものじゃないわ」
サラザールは絶句した。驚きを隠せなかったサラザールは無表情になりきれず、「なぜ分かった?」――リドルと似た警戒を見せる。それがには可笑しくて、くすくすと声を漏らした。
「そりゃあそっくりさんだからねえ」
はそうしてからかいながらも、サラザールに少しだけ感謝していた。リドルは危険因子だ。それを忘れないようにと心に刻み付けるのに、の弱点を言語化してくれたサラザールの功績は大きかった。
そしてはリドルを他人とするために、関係を白紙に戻した。
しかし、その時のには少しの失敗もあった――はリドルという闇の塊を眼にして、肝心なことを忘れていた。人間が自分の危険性から眼を背けさせようとするとき、他の誰かを危険だと説いて注意を向けさせることこそ最良の方法なのだというのを。


 




















13

は有用性を再確認していた。
主語をつけるとするなら、サラザール・スリザリンの幽霊の、である。

どういうわけか貼りつく様にのことを監視していたオリオンも、数日経てば部屋を空けるようになった。当然だ、彼にも授業がある。寧ろ今までの引きこもり具合が異常だっただけだろう。それがリドルの依頼なのかオリオンの独断なのかは不明だが。
ともかく、今日も今日とてはホグワーツ探検に励んでいる。
そして・・・・・・そこでようやくこの幽霊の有用性に気がついたのだった。
「まさかこれほど有能だとは・・・・・・」
当然だが、サラザールは創始者であり、ホグワーツ建築に関わった一人。故にその構造に誰より詳しいと言える。ありとあらゆる隠し部屋から通路、果てにはしもべ妖精のいる厨房まで。どこへなりと案内可能、彼はそんな反則に近いナビだったのだ。低価格では買い求められない中々の品物だと言えるだろう。
「俺に関して評価するのはそこしかないのか?」
手放しに褒め称えられた本人は不服そうだったが。
「大体俺は創始者だぞ。魔法界の誰もが一度は憧れる人物を目の前にしながらお前は信心が低」
「お、迷子はっけーん」
サラザールの声など何処吹く風と無視しては周囲を見渡すと、廊下の先、十字路辺りでせわしなく視線を彷徨わせる少年を発見した。一年生だろう。授業まで時間が無いせいか、ショタ好きなら胸を打たれるような涙目をしている。
自分はそうでもないが、果たして学校創設者なるサラザールは子供好きだろうか、とは横に目をやった。しかし、有り難いお言葉を遮ったせいか、サラザールはそんなものは関係ないとばかりに額に青筋を浮かべていた。
「おい、なぜ近寄る」
更に眉間の皺も増えた。
「一年生みたいだからいいじゃないの。きっと上級生だって思ってくれるし、バレないよ」
「そういうことじゃなくてだな! 理由を聞いてるんだ、理由を!」
そんなの決まっているじゃないか――はにっこりと笑った。
「ナビは困ってる人の為にあるんだよ」
訳すと「面白そうだから」になることは、どうやらサラザールにも分かり始めてきたようだ。は横で盛大な溜息が吐き出されるのを聞いた。幽霊は呼吸をもするらしい。死んでまで酸素を消費されると、地球温暖化を防ぐ方法が本格的に行き詰まるから勘弁して欲しいものだ、とは尤もらしく考えた。


 




















14

そもそもこんな迷宮染みた校舎を作った誰かさんが悪いんでしょうがー。
あんまりにも煩く叱咤するサラザールに対抗したせいで、の声は間抜けに反響した。より声のトーンが高かったのはサラザールの方なのだが、言わずもがな他者に届くのはの声のみだ。よって、件の一年生はに気が付いた瞬間、一人でべらべら喋っている人間に対して当然の反応を示した。つまりドン引きである。
周りの見えなくなっているサラザールとは違い、は少年の方にも意識を向けていたため、少年の反応を見ると嫌そうに顔を顰めた。
「結局サラザールのせいで接触しちゃったじゃん」
「元から話しかけるつもりだったろう! 全く貴様は・・・・・・!」
「あの・・・・・・?」
開き直ってぶつくさと文句を垂れていたに、少年は恐る恐るといった様子で話掛けた。藁以下だと分かってはいても、縋るものがそれしかなければ手を伸ばすしかない。は少年の方から接触をしてきたことに内心でほくそ笑んだ。
少年は大人しそうな外見で、新品なのだろうパリっと糊のきいたローブは規定より少し長い。茶がかった金髪が日に当たってきらきらと輝いている。幼いながら鼻筋のすっと通った綺麗な顔立ちで、タイはスリザリン色だ。
は人の良い(と自分で思っている)笑みで軽快に話しかけた。
「やあ少年、御機嫌よう。見たところ迷子のようだけれど、ホグワーツナビの異名を持つ私の助けは必要ないかな?」
「は? えっと、それはどういう・・・・・・」
臆病さが少年の眼に映り込み揺れている。サラザールが「またそんな嘘を」とばかりに悲痛な面持ちで額を押さえた。頭痛など起こさない癖に演技過剰だ。
「どうやら私のことをご存じないようだね。私はホグワーツ七不思議と言われる、迷子の前にどこからともなく現れるお助けマンで――」
「そこで何をしているのです!」
の堂々たる名乗りを厳格な声が妨害した。廊下の奥、少年の背後から現れたその女性は凛とした声でこの場を制すと、カツカツと足音を響かせながらたちに歩み寄ってきた。グリフィンドールのタイと監督生バッジをつけた上級生然とした女性で、四角い縞模様の眼鏡を掛けている。長めの前髪を左右に分け、後髪は高い位置で団子に結っていた。は驚いたが、頭にピンと閃くものがあった。彼女の雰囲気から思うところがあったのだ。
「話し声がするから来てみれば・・・・・・授業はもう間もなく始まるというのに、こんなところで一体何を?」
「あの、すみません! 僕迷子になってしまって・・・・・・呪文学の教室を探しているんです」
少年はくるりと振り返ると女性に訴えかけた。もはやの存在は無かったものにされている。溺れている人間が浮いているススキと救命ボートを見つけたなら、まず間違いなく後者を選ぶのは当然のことだが。
「呪文学ですって? それは正反対の塔です。しかし・・・・・・急いでも間に合うかどうか」
定刻でそうなるのか、ぎぎぎ、と鈍い音を立て大階段が動いている。先ほど手すりがあった場所の上で絵画たちがチラチラとこちらの様子を伺っており、は暫くそれを観察していたが、絵画たちは決まって目を合わせないようにと動いた。優雅に傘を差していた貴婦人などは目が合ったとたん顔を赤らめて傘をこちらに翳す程だった。
は困窮している二人へと視線を戻し、それからサラザールを見た。ひたすら黙していたサラザールもを見ている。
「サラザール」
小声で囁くと、遂にサラザールは折れた。
一動作に付き一回の溜息を零すような割合で、サラザールは階段へと向かった。への当て付けだろうが、それよりもは幽霊なのにドスドスと乱暴に歩くのが可笑しくて笑ってしまった。サラザールは憮然とした顔だった。
「・・・・・・あれ?」
先に異変に気が付いたのは少年だった。女性から目を離し階段を注視している。それから女性も視線を上げた。
ぎぎ・・・・・・ぎ・・・・・・ぎ。
北岸に掛かろうとしていた階段は途中で止まったかと思うと、こちらへと引き返してきた。
この階段の珍妙な動きには、冷静沈着と定評を持っていそうな女性も唖然とした。階段は普段の倍程のスピードで引き返してくる。遂に元の位置へあっさりと溶接してしまった。
優柔不断な動きを階段にさせた張本人、サラザールはを見る。それから、階段のおかげで手が届くようになった傘の貴婦人を指して、「この後ろの通路を通れと言え」と命令した。これで満足だろう、と付け足しそうなほどに偉そうだ。
「少年、こっちにおいで」
「え?」
「ここに近道あるらしいよ」
は戸惑う少年のローブを引っ張って絵画の前に来させると、額をひょいと持ち上げた。上部で固定されている絵画を支えたまま、正反対の腕で少年の襟首を掴む。それからは、見もせずに少年をその後ろの通路に放り込んだ。
少年がぎょっと目を剥いた、その瞬間「う、わああああああああああ!」驚くことに彼は暗闇の中へと落ちて行った。良く見ると滑り台になっているらしい。放り込んだせいで頭を下にして滑って行ったようだった。
「おお・・・・・・」
はどんどんと遠ざかっていく悲鳴を聞いて、ほんの少しの申し訳なくなった。これほどスリル満点な道であるなら、一言くらい前置けば良かったか、と反省もしたが、サラザールが言わなかったのがそもそも悪いのだから仕方がない。結局は少年に合掌しただけだった。
少年の叫びを聞いてフンと鼻を鳴らす幽霊は、を見もしない。ただ階段に「無理を言って悪かったな」と謝罪すると、そこでようやくと目を合わせ、階段から降りろと合図した。
「なんだかんだ言ってサラザールも優しいねえ」
「気持ち悪い感想を述べるな。・・・・・・スリザリンの生徒だったからというだけだ」
「はいはい」
パタン、と額を閉じる。傘の貴婦人は顔を真っ赤にして失神していた。
「それじゃ、そろそろ私たちも行きますか」
サラザールに習って、も階段に「ありがとう」と礼を言って小さく手を振る。ガタガタと震えてそれに答えた階段は無機物ながら愛らしい。
人助けも終わりたちはほのぼのとしたところだったが、それだけで終わることはなかった。残念なことに更にサラザールが嫌がりそうな事態が発生。散策は再び中断された。「待って!」――例の女性が声を上げたのだ。


 




















15

「あの・・・・・・あなたはいったい・・・・・・?」
女性は冷静を装いながらも困惑を隠し切れずにいた。
「新入生ではないでしょう? でも、失礼だけれど・・・・・・見かけたことがないわ」
吊り目気味の瞳が眼鏡越しにこちらを射抜いている。その様子は確信に満ちていて、は流そうと考えていたのを忘れて思わず問いかけてしまった。
「私の勘違いだったら申し訳ないけれど、あなたはミス・マクゴナガルではないかしら」
この言葉に女性は完全に言葉を失ってしまった。その反応には今まで感じていた直感をようやく本当のものと判断できた。やはり彼女は未来に厳格なグリフィンドールの寮監となる、あのミネルバ・マクゴナガルの過去の姿なのだ。
髪が濃い黒であることを除けば全くそのままだとも言える。まず間違いなく委員長にさせられるような、そういう女生徒。は顔を綻ばせたが、次の瞬間にはそれが驚きに変わった。
その理由は、に対しての困惑がどうにも過剰だったからである。はこれまでに何度かホグワーツ生に姿を見せているが、そのどれもが――例えばリドルの同級生などは、見たことのない生徒だなと少し疑問を持ったり、それから先ほどの少年は上級生だと勘違いしたり――あまり過度なものではない、言ってしまえばご飯を食べて寝たら忘れる程度にしかのことを意識していなかった。
しかし、ミネルバは違う。彼女はを見かけたことがないと言い、困惑と警戒を示している。
は散策中、リドルに借りたスリザリンのタイを締め、ローブを羽織っている。成人を超えているとはいえ、顔は日本人のそれでありミネルバよりは童顔だ。同級生とは考えられていないだろう。
であるのに、だ。それを踏まえてもミネルバはが「自分の知らない人物」であることに驚いている。
これではまるで・・・・・・。は思わず身震いした。正体が露見する恐れからではない。それは、感嘆と尊敬の念から滲み出た反応だった。
「あなたは・・・・・・」
間違いない。ミネルバは、スリザリン生の顔を全て覚えているのだ。否、そうであるなら他寮の生徒も把握している可能性が高い。つまり彼女は全校生徒を、約1000人は生徒がいるというこの学校で、そのすべてを覚えている!
は驚きを超えて感動に近い思いを抱いていた。ハリーポッターシリーズを読んでいた頃から彼女に好意を抱いていたが、現実がそれを凌駕するとは思わなかったのだ。
特になどは、学生時代から同級生の名前も半数は言えないような人間だ。正反対の人間に相対して特別な感情を抱いても不思議はない。
気がつけば、は零すようにミネルバに笑いかけていた。
「あなたはきっと良い教師になる」
授業が始まるまで数分もない。ミネルバは口をあんぐり開けて凍り付いたように突っ立っている。今度こそと背を向けてサラザールに歩み寄ったに、彼女が制止を掛けることはなかった。


 




















16

「お前はなぜそんなことを知っていた?」
ミネルバと出会った場所から大分遠のき、天文学の塔近くにまで歩いてきたとき、黙り込んでいたサラザールが突然そう言った。煉瓦造りの壁は程よく古くなっており、等間隔に並ぶ燭台が傍にある青銅鎧の影を重ね揺らしている。周りを観察して歩くはサラザールに僅かに遅れを取っていて、サラザールは些か苛立っているようだった。
サラザールの質問の意図がなんであれ惚けるつもりだったは、彼のそんな苛立ちを助長させるように応じる。
「そんなことって?」
廊下の奥から吹き付ける風を感じているのはおそらくだけなのだ。それをはなんとなく寂しく思った。
「惚けるな。先ほどの女が教師を志望しているということだ」
サラザールが挑むような目でを射抜いている。しかしながら、その発言は迂闊だと言わざるを得ない。サラザール君、とは馬鹿にするように心の中で哄笑した。今の言い方だとまるで君が、――君も、彼女が教師を志望していることを既に知っていたかのようだね。
がサラザールを馬鹿にする所以はここにある。グリフィンドール生とて同じだ。つまり、愚直すぎるのだった。
狡猾であることは必要だが、一番狡猾な手段が良いわけではない。しかし、一番勇気を必要とする危ない手段を躊躇いなく用いるのは莫迦である。足して二で割れば良いだろうに、お互いその手段を選ばないところは救いがない。
「お前はここへ来てからずっと、俺と共に行動していた。その間彼女と接触したことなど一度もないはずだ。だというのに、なぜ・・・・・・」
サラザールは聡い。驚くほど聡明で、に意図のやり取りを強要してくる。狡猾さの中にも静かさがある。愚かしい一直線さで押し切ることが出来るほどの力はある恐ろしい奴なのだが、致命的なのは彼が現在薄弱な存在であり他者への強制力がないこと、そしてそれを利用できるほど無力に慣れていないことだろう。
「その言葉、そっくりそのまま返してもいいのよ?」
燭台の横で足を止めて微笑むと、サラザールは息を呑んだ。
「ずっと私といたと証言するあなたが、どうして彼女の進路を断定できるのか。是非ともお聞かせ願いたいものね」
サラザールは唇を噛み締め、憎悪すら感じる瞳でを睨みつけた。今の自分に力がないことを心底悔やむような、胸のうちでのた打ち回るものを押さえるような必死さで顔を顰めて。
やがてぽつりと、苦し紛れのような皮肉だけがその口から漏れる。
「聞かせてほしいという願望が見えもしない。棒読みの皮肉でよく言うものだな」
だって、今のところ話す気はないじゃあないですか。あなたも、そして私も――。はサラザールからふいと視線を外した。
「実は当てずっぽうを自信ありげに言っただけ・・・・・・ということにしておくのがベストの選択だと思うよ、お互いの為に」
実際、パッと見で彼女は将来は教師になってそうな人間に思えるじゃないですか。
無難な答えのほうを選んでおくのが賢いってもんでしょう、ねえ?


 

















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