41

味方、と言っても表立っての行動は求めなかった。がアルファードに求めたのは、主に情報である。今の闇陣営の状態について、トム・リドルについて、サラザール・スリザリンについて。それ以外にさせたとして、があまり入れない図書室の本を代わりに借りさせる程度だ。
サラザールについては、同様の歴史としての情報しか持っていないようだった。ゴドリック・グリフィンドールと決別した後は、消息どころか生死も知られていないようだ。スリザリンの純血の家系ならもしくは、と考えていたが、直系でもなく、千年前ともなれば、曖昧になるのは当然だろう。
サラザールについてはこの程度のものだったが、リドルについては予想外の情報を得た。アルファードが言うに、彼は既に闇側にどっぷりであるということだった。
ブラック一族は元々闇の魔法使いたちとの繋がりが濃い。それをリドルは、オリオンを介して次々に束ねているという。
「ブラック家には毎年クリスマスパーティーがあるんだ」と、アルファードはどこか鬱陶しげに言った。
「そこで繋がりのある有力な純血の魔法使いたちは集い、純血を讃え、その永遠を誓う」
「"純血よ永遠なれ"――と?」
「そうだ。そして、その頂点に立っているからこそブラック家は『王族』なんだ」
はうげっ、と顔をしかめた。
「そりゃあ荘厳なことで」
アルファードはの反応にさして気分を害することなく、淡々と言葉を続ける。
「トム・リドルはそれに参加している。それも、『次なる王』の後ろで、だ」
『次なる王』――ブラック家次期当主オリオン・・・・・・か。
「アルファードも参加しているの?」
尋ねると、アルファードは無表情ながら眉間に谷を深く刻む。「義務だからな」と答える声は固い。
「あの家には関わらない方がいい」
アルファードはきっぱりと言った。
はそうしたいものだと内心頷いた。それと同時に、彼とブラック家の間にある噛み合わない溝のようなものを、感じた。
憎しみではない。シリウスにあったような強い反発とは思えない。ただ、その思想に馴染みきれていないような・・・・・・そこに属することを義務と呼ぶくらいに、情そのものが薄いように感じたのだ。
しかし、深く立ち入る気のないは、核心に話を戻した。
「貴方は、面識があるの? その・・・・・・」は呼び名で迷い、少しの間を置いて言う。「リドルに」
「直接的な面識はあまりない。何度か挨拶は交わしたがな」
「どう思った?」
は珍しく真剣な瞳でアルファードを見据えた。アルファードは少し驚いたようだったが、 それから、風に揺られる草にじっと視線をやり、考え込むようにした。内容を、ではなく話すこと自体を躊躇しているようですらある。案の定、その口から独り言のように零されたのは、ですらも悪寒を覚えるものだった。
「オリオンが、父に・・・・・・ブラック家の現当主に・・・・・・彼を紹介した。二年前だ。俺は丁度父と話している時で、その流れで儀礼的な挨拶を交わした。オリオンは・・・・・・父を見ていなかった。最初から最後まで、あいつが見ていたのはトム・リドルだ。トム・リドルは一通りの挨拶をした後、人好きのする笑みで別れを告げ、漆黒のドレスローブを翻して踵を返した。その時の横顔は、仮面のように無機質で、瞳に何も映していなかった。かすかに動いた口元は、器ではない、と呟いたように見えた。王の器――と」


 




















42

サラザールが態度を変えたのはつい先日のことだった。分かりやすく思い詰めたような顔をしているから、一体なにかと思っていたら、リドルに関わるなと警告し、以前と態度を一変させたのだ。
「私もそうしたいのはやまやまだけどね」とは理性だけを抽出して言った。「今更それができる相手なのかしら」
その時のサラザールほど、苦虫を噛み潰したという表現が似合う状態があっただろうか。動揺もそのままに、眉を吊り上げ歯ぎしりするものだから、もしもこの幽霊が生徒に見えたら大変なことになっただろうとさえ思った。
サラザールを見据えるは、冷静に彼の悪意を測る。使う言葉も慎重だ。
「ねえサラザール、どうしたっていうの。私が記憶を奪われたときは平然としていたくせに、今更忠告だなんて。あなたにリドルの」は自らの思考に胸を突かれ、一瞬言葉に詰まった。「・・・・・・何が分かるって言うのよ?」
「少なくともお前よりは、あれの本質を知っている」
「奇遇ね、私も同じように思うわ」
「・・・・・・では、お前は何を知っている?」
サラザールはまるで値踏みするようだった。その不躾さに、素直に自分の価値を示してやるのは腹立たしく、また、サラザールによってリドルに奪われたものがいかに大きかったかを馬鹿正直に説いて聞かせるのも億劫だ。は小さく鼻を鳴らした。
「将来の髪の毛の本数」
「はあ?」
サラザールのマヌケな顔には胸が空いた。
「ついでに突然生まれる謎のズルズルした服飾センスとガーターベルト。誕生日も知ってるわ。大晦日だから覚えやすいし」
「オオミソカ?」
知らない単語に戸惑うサラザールに、は反応しない。クッと顎を引き、どこを見るでもなく眼をすがめた。
「少なくとも、知らないと言えるほど知らないでいられたわけじゃない。だけど・・・・・・」
だけど。
「同じか。知っても知らなくても、他人でしかない。届かないんだものね・・・・・・」
だけどこの身のうちにある感情はなんだ。
好奇心と畏怖の対象でしかなかったものに、それを理解したいと望むこの心は。
「・・・・・・」
は今度こそはっきりと顔を顰め、沈黙した。
当然サラザールは訝って、先ほどまでペラペラと調子良く戯言を吐いていたの口元をじっと見ている。
は見つけられない――あるいは見つけたくない答えをそのまま飲み下して、小さくため息をついた。再び顔をあげたとき、その瞳にはもう迷いのようなものはなかった。
「それで、貴方が知っていることって?」
の侮る笑みは、当然、先ほどの仕返しだ。サラザールもそれを理解し、眉を吊り上げたが、のような馬鹿げた回答は用意できない。いつものように逃げるしかないだろう。サラザールは馬鹿になれないという点で、ある意味単純でもあった。つまりシリアス野郎なのだ――と、は少し羨ましく思った。馬鹿を装う必要がないということは、それだけ強いということだからだ。
「俺が知っていること、か・・・・・・」
「そう。例えば、幽霊であるがゆえに観察できる、彼の下着の色なんかを」
「人聞きの悪いことを言うな!」
「でも、私以外に見えないならできるじゃない」
「可能かどうかの問題じゃない! 誰が子孫の下着など見るか!」
「なんだ、言葉の割りに情報収集たいしたことないじゃん」
「煩い! そんなことは・・・・・・そんなことは知らない。あれは血の繋がりがあるだけだ。経歴的なものなら、あるいはお前の方が知っているのかもしれん。だが・・・・・・俺は知っている」
その時のサラザールの呟きは、に違和感をもたらした。何がそう感じさせたのかは判然としない。ただ、そこにあったのは、嫌悪や憎しみというより、疲れに似ていた。
「あいつは・・・・・・トム・リドルは」
そして、サラザールは言った。


 




















43

昼の日差しが差し込むピアノ部屋は、夜のそれとは全く違ったものだった。僅かな月明かりで乱反射していたガラスの鍵盤は、今は日差しに透け、どこか希薄だ。
はそっと鍵盤の上に指を滑らせ、思考に沈んでいたが、入り口の燭台が回り出したことでそれを中断させられた。
サラザールは今いないが、そもそも彼は燭台を回す必要がないだろう。 またか――とは多少気分を害した。誰も知らない部屋と紹介されたわりに、客人が多い。ダンブルドアか、それとも――。
長く考える必要はなかった。来客から挨拶があったからだ。
「邪魔をしてすまんの」
ニッコリと笑みを浮かべたダンブルドアが、まだ少し短く見える髭を撫でながら現れた。相変わらず質の良さそうなローブを平気で引きずっている。これだから魔法使いは羨ましい、とは思った。とはいえも、リドルから借りたローブを土や埃で汚して帰っているのだが。
は鍵盤から手を離し、ダンブルドアに挨拶した。
「まだ弾いていないので、騒音ではないはずなのですが?」
「そうじゃのう。今日の問題は授業時間であるということじゃろうか」
ふぉっふぉっ、と髭の下で笑う。相変わらずのはぐらかし方だ。
しかし、ダンブルドアの瞳には先日とまた違ったものがあった。意外な質問が飛んだのは、がそれを見極める前だった。
「創始者殿はおられないかね?」
「え?・・・・・・ええ、今はここには・・・・・・」
は戸惑いつつも聞き返した。
「サラザールに何か?」
「いや、今日は君に用があるのじゃ」
「・・・・・・私に」
「そう――一つ忠告をしたくての。できれば、彼が不在のときに」
はその時ようやく、ダンブルドアへの違和感の理由に気がついた。水色の瞳に、いつもの茶化しを含んだ子供っぽい輝きがないのだ。
「君に憑いておるのは間違いなく創始者殿だろう。それは絵画や幽霊、彫像たちの態度から間違いない。じゃが、彼がなんらかの理由で嘘をついていることは確かじゃ」
は慎重に頷いた。
「・・・・・・でしょうね。嘘があることは分かります。どれがそうかは、分かりませんが」
「なるほど、君は随分と賢明なようじゃ」
ダンブルドアは微笑み、それをすぐに消した。
「力を失っていると、彼は言ったな? じゃが、長い年月を経たせいで幽霊が力を失うということはそうあることではない。ほぼ同時期の幽霊であるヘレナや血みどろ男爵には、そういった問題はなんら見られぬ」
はハッと息を呑んだ。
「なぜなら、彼らは魂のみの存在であり、思念であり、魔力の器そのものじゃ。魔力で存在しているのではない」
ダンブルドアは静かに述べ、天窓へと顔を向けた。日差しで白く染まる石壁を目で追い、考えを巡らせているようである。
は鍵盤に載せていた手をぎゅっと握り込んだ。
あの時――。がサラザールの目的を告げると、ダンブルドアは一瞬考える素振りを見せた。その理由はここにあったのか、とはようやく得心した。だが・・・・・・。
「力を失っていると言うこと自体は、嘘ではないと思います」
「ほう?」
「そうでなければ、彼は私にだけは協力を求めなかったでしょうから。あなたのような、存在を察知できる人間もいるなら、彼が見えるということだけで、私を選ぶとは考えられません。サラザールは間違いなく、なんらかの事情のもと追い詰められていた。それは確かです。ならば」
「嘘の理由は違う場所にある、か。さて、どうだろうかの。実際に言葉を交わせぬわしに分かるのは、ここまでじゃ」
ダンブルドアはゆっくりと首を元の角度に戻し、微笑んだ。
「君は君の意思と知恵で行動することじゃ。それが正しき結果へ繋がることを、願っておるよ」
入ってきた時と同じくらい唐突に、けれど自然に身を滑らせ、ダンブルドアは壁の割れ目へと消えて行った。はその背に呼び掛けようか迷い、結局見送った。飲み込んだ質問がなんだったのかすらもはっきりとはしない。ただ一つ言えるのは、はいつだって自分の意志と知恵で行動を選んできた。正しい結果に辿り着くことが殆ど無くても。

「あいつは・・・・・・トム・リドルは」
サラザールは言った。秀麗な顔には銀糸のような髪がかかり、透明でなければ影が落ちていただろう。しかしそれをも無残に握り潰して、彼は表情を隠した。
「サラザール・スリザリンの力を継承し、意思を継承しなかった」
シリアス野郎は、これ以上なくシリアスをしていた。はしばらくしてから、あまり聞きたくはなかったな、と思った。下着の色より扱いづらい。
リドルの行いは、サラザールの意思とは違うと言う。
ならば、サラザール・スリザリン、あなたの意思とはなに?


 




















44

ピアノ部屋から出て螺旋階段を降りながら、飾り窓の向こうを見ていた。ごま粒程の大きさの黒い塊が空を行ったり来たりしている。飛行術の授業中なのだろう。
外に気を取られていたは、下から駆け上がって来る人影に気付かなかった。そして相手も、丁度螺旋階段の中央を通る太い柱のせいで見えていなかったのだろう。
ぶつかりそうになったところで初めて気付き、もその生徒も慌てて身を引いた。
「おっと・・・・・・ごめんねー」
柔和に微笑み、その男子生徒はの横をすり抜けると、階段を駆け登って行った。
内心冷や汗をかいた。こんな真昼間に天文塔へ向かう生徒がいるとは思ってもみなかったのだ。
最近、リドルへの警戒ばかりで他への注意が散漫になっている。不法侵入の件はダンブルドアを抜いた教師陣にはばれていないつもりだが、そう長くごまかせることではないかもしれない。
油断を自戒しつつ、止まっていた足取りをもまた再開する。そして、七階廊下に降りた所で、はたと思い止まった。
窓の外は飛行術を行っている生徒がいる。つまり今はまだ授業中のはずなのだ。それなのに生徒がいたということは・・・・・・。
「あああっ! あなたはホグワーツナビ!」
思い至るのが遅かった。つまり、授業が通常より早く終わったクラスがあるということに。
驚愕の表情で指を突きつけるミネルバに、は苦笑を返した。今日は本当のホグワーツナビがいないのだ。
身を隠す場所もない廊下では、見間違いにしてもらうのも難しい。曲がり角は遠く、唯一天文台への階段が後ろにあるが、行き止まりに向かって逃げるのは得策ではない上、先ほどの生徒のこともある。
は少し考え、ミネルバと一歩距離を詰めた。
「あなたにしては行儀が悪い」
ミネルバの震える指に手をかけ、下へ下ろさせる。確か、指を突きつけるのは日本以外でも行儀の良い行いではないはずだ。
ミネルバはハッと正気に返り、顔を赤らめながら手を引っ込めた。おずおずといった様子で引っ込めた手を胸の前で重ねながら、俯きがちにちらちらとを見ている。面白いくらいに狼狽している。
はなるべく優しげに微笑んだまま――きびすを返して廊下を駆け出した。
隙を突かれたミネルバが本日二度目の驚きの声を上げたのが、の背に届く。
鬼ごっこリターンズである。


 




















45

「っは、あ、アルファ・・・・・・ド・・・・・・」
「どうした?」
「いくら、なんでも、彼女、体力有りすぎない・・・・・・?」
息を切らせたが、木の根元で仰向けになる。
同じ撒き方では場所がバレるかも知れないと、窓の外にぶら下がるという古典的な隠れ方を駆使してミネルバをようやっと撒いた、そのすぐ後である。
もはやアルファードの傍を休憩場所の認識で使っているだが、文句は特に出なかった。相変わらず分厚い魔術書を読んでいるアルファードは、の疑問にしれっと回答する。
「それはそうだろう。ミネルバは元クィディッチの選手だ、運動神経はかなり良い」
「・・・・・・そういえばそうでしたっけ・・・・・・」
は大きく息をつき、額の汗をローブで拭った。もはやリドルのものということは一切考慮しない。
「でも逃げ切ったわ。私もクィディッチができれば強いかしらね? ドッジボールなら得意だったけど。ブラッジャーを避けて逃げるだけじゃねえ」
叢に横たわりながらは子供のように笑い、その合間に息をして、ゼエハアと腹部を上下させた。アルファードはそんなの顔を覗き込み、なにやら難しい顔をしている。
「わからんな。なぜミネルバは避け、俺は避けない? 人柄でいうなら、彼女ほど信頼できる者もいないだろう」
その揺るぎない信頼は、当前のものとして発言された。はそれを聞いて笑みを深めたが、しばらくしてふいと顔を逸らした。
「どうしてかな・・・・・・」
痛いとこを突いていた。
「俺は手段を選ぶだけで、スリザリン生には違いないぞ」
「うん」
きらきらと木漏れ日が輝いている。柔らかな土の匂いが絶えず流れた。
は黄色に染まる小さな葉の先を間近に眺め、呟くように言う。
「そもそも本当は、誰にも言うつもりはなかったんだけど・・・・・・どうしてだろう。君が味方になってくれたらいいのにと思った」
「ミネルバは駄目なのか? 気に入られてるだろう」
「駄目じゃないけど・・・・・・」
「渡り廊下に誰か居るな」
「え」
「ミネルバだ」
はパッと木の陰に隠れる。背を幹に押し付け、頬に付いていた木の葉の欠片を払っていると、反対に居たはずのアルファードがひょいと顔を覗き込んで来ていた。
「行った?」
とりあえず尋ねる。
「ははは」アルファードが呆れたように笑った。「やっぱり駄目なんじゃないか」
「・・・・・・騙した?」
「悪いな、スリザリンなんだ」
は渋面になった。確かにそう、彼はグリフィンドールになるような人間ではないのだろう。シリウスのイケメン部分を嫌味なほど抽出してはいるが、ブラック家には違いないのだ。むしろ、より一層タチが悪いとも言えた。
「彼女は死なないから・・・・・・」
「なんだって?」
「・・・・・・なんでもない」
は首を緩く振った。自分の選別基準が物語にあることに気付いていたからだ。
アルファードは死ぬ運命にある。だから良いと思った、などと、が考えていることなどアルファードには知るよしもない。
私もスリザリンだな、と思った。は茫洋とした表情で木漏れ日を受けていた。言葉はしばらく無かった。
「アルファードは、さ・・・・・・」
「なんだ?」
アルファードは裏切らないだろう。それは、シリウスが友を裏切るくらいなら死ぬと言った姿を重ねているのもある。けれどそれだけでなく、信頼を置きたい。だから本当はこんな質問に意味はない。
「私の敵?」
は目を逸らした。違う。本当に尋ねたいのは、アルファードにじゃない。
リドルに・・・・・・。
アルファードはきょとんとして、の動揺を見ると、お前みたいな奴でも心細いのかと笑った。
「敵に回る理由はない」
そういうアルファードの答えがは好きだった。味方になる理由から考えるとは真逆だからだ。はけして声に出さないように呟く。私もそう答えたかった――リドルに。


 




















46

白々と明けた空に月が出ていた。ホグワーツに来てから二度目の満月だった。夜明けは目前、夜とは質の違う静けさで、命の寝静まる夜に対して、そもそも音が存在しない時間のよう。は深夜徘徊を切り上げる前に、渡り廊下の柵に身を預けた。
何気なく顔を伏せた時だった。ふと階下へ目をやると、渡り廊下自体の影から突出した、人型の影がある。幽霊にしては妙だと考えていたところ、柱の影から姿を現したのを見てギョッとした。リドルだ。
明暗のはっきりする明け方の色彩の中、暗さばかりを濃く刻んでいた。リドルは始め、柱に寄り掛かったまま微動だにしなかった。柱がアーチ状に並び立つだけの開放的な廊下は、時折吹く風を静かな音で通した。その度にリドルの黒髪はさらさらと流れ、濡れたように艶めいた。
はリドルの現れた方角をチラと確かめただけで、同じくアクションを起こさない。
・・・・・・禁じられた森。一体何の用事やら。
ふ、とリドルが頭をもたげた。
、か?」
リドルの瞳がを捉える。丁度朝焼けの逆行を受け、光の映らない光彩が暗く澱んでいるように見えた。
「私じゃなければ、優等生の仮面にヒビが入ってたわよ」
「ヒビが入るのはそいつの記憶だ」
口調が多少荒いのに気がついて、は押し黙った。心なしか彼の闇が濃い。時間帯のせい、なのだろうか。
「話すのは久しぶりだね」
自覚したのだろう、口調が和らいだ。
「おやすみなさいはちゃんと言っていたでしょう」
「一週間近く避けているだろう」
「避けているのではないわ。逃げているの」
「なるほど、もっともだ」
あえての訂正に、リドルがクスクスと笑う。
「僕は君の、その底知れない図太さが気に入っているよ」
「料理の品評みたいに他人事なコメント」
は意図せず肩の力を抜いてしまい、表情の固さが多少抜けた。
リドルの視線が外れる。もまた、自然と同じ方へと目を向けた。丸い・・・・・・月。日本から見るのとはまた違う。大きく、輪郭もはっきりしている。今は薄い色だが、明ける前はバターのように黄色い月だった。
「リットルさん」
「なんだい」
「どうしてあなたはリットルさんなの」
「さあ、どうしてだろう」はは、とリドルが笑う。「シェイクスピアかい?」
「登って来てはくれないのね」
「そうしたら逃げるんだろう?」
「だって私はあなたが怖い」
リットルさんじゃないくせに平気で答えるところとか。
「私は・・・・・・」は言い澱んだ。「敵ではないと、言った。あなたは? リットルさんは私の敵?」
「・・・・・・敵じゃないよ」
リドルは月を見たまま微笑んだ。即座に答えなかったのは、嘘臭さを隠すための計算だろう。
これはリットルさんじゃない。そう思った。どんどんリットルさんの部分が死んで、リドル・・・・・・否、ヴォルデモート卿の部分が彼を侵食している。
嘘でも、彼がリットルさんでいてくれるなら、このままを望めるのに。
。創始者の遺産は見つかりそうかい?」
不意にリドルが聞いた。は呆気に取られつつ、首を振った。
「残念ながら、まだ」
「僕は見つけるよ」
「・・・・・・なんて?」
夜明けを眺めるリドルの横顔が、笑みを象った。
月はもはや空に溶け込み始めている。がホグワーツに滞在し始めて、もう一月以上が経つ。風が含む温度も匂いも、ここに初めて来た頃とは随分違った。
終わりはもうすぐなのだ。が変化を噛みしめているとき、乾いた風が頬を撫でていくのを、リドルは意にも介さない。


 




















47

ハロウィンを明日に控えたその日、アルファードと二人でいる雑木林の、雨が降り出しそうな空のときに、オリオンは現れた。
雨雲で薄暗いが、まだおやつ時を越えたばかりである。授業時間の真っ只中で、サボタージュも甚だしい。アルファードはなにやら意図的に不真面目をしているようだが、オリオンはそうではないため、これは珍しいことだった。
「義兄上。このような場所で何を?」
冷ややかな声音だ。見下ろす視線も彫像のように無機質である。
「私が何をしていようと関わりのないことでしょう」
対するアルファードは敬語である。それも、礼式ばったものだ。は首に手を当てて小さく唸った。
これはこれは・・・・・・。
どうにもよろしくない組み合わせのようである。
「こちらに関わりがなければ、その通りです」
このオリオンの丁寧語も、義兄と義弟といった立場から来る形式にしか思えないようなものである。
そこでオリオンはチラリと視線をへと流した。オリオンの非難はこちらにも及んでいたらしい。
しかし、にしてみればやましいことはない。
「ご挨拶だね。私、何もしてないよ。最近はあなたをパシるのもやめたでしょ?」
は口を挟む。尤もパシリをやめたのは真実薬を警戒したためであって、大人しくするつもりがあるわけではないのだが。
しかし、オリオンは極力と無駄な会話したくないというように苦々しげだ。また、アルファードも一切に目を向けない。
二人の間にあるのは、確執・・・・・・だろうか。どうにもわからない。
オリオンはギリギリ悪意を隠したというような声でに詰問した。
「大体あなたはどうしてこの者と居るのですか」
「どうしてって、平たく言えば成り行きね」
「・・・・・・あなた風に平たく言えば全部そうでしょう」
オリオンの返答は冷たい。アルファードはそれを聞くと目を細めて、口に薄い笑みを浮かべた。
「あなたが敬語ということは、こいつは本当にトム・リドル関連の人間らしい」
オリオンが敬語を使う対象、その用法は限られているため、推察は当然である。そしてアルファードもまた同種の推察ができる。は彼のそれが、ブラック家次期当主への敬語であるということに気づいた。
オリオンは不愉快げに眉を潜め、鼻を鳴らした。
「ならばあなたが関わるべきでないことも理解していただきたいですね」
アルファードは沈黙する。は階級を端々に感じる会話に顔を引き攣らせていたが、ふと違和を感じて首を傾げた。
なぜか会話の論点が自分になっている。
そしてそれを決定付けるように、オリオンは会話を切って本題を切り出した。
「我が君が呼んでいる。同行してもらおう」
その顔は、に向けられている。
「ちょっと待って・・・・・・私?」
「そうです」
「今、授業よね?」
「ええ」
「・・・・・・おかしくない?」
あの優等生リドルが、サボタージュだなんて軽々しくするだろうか。違和感と、そして嫌な予感とが、じっとりと胸の内に広がるのがわかった。


 




















48

いつかの夜、夜明けを見つめるリドルの、その横顔が不意に思い出される。
『僕は見つけるよ』。
問えなかったのはなぜだったのだろう。あの時、いつもの強すぎる好奇心が驚くほど湧かなかった、その理由はいまだにわからない。
ただそう、あれは異質すぎた。

乾いた唇を湿らせる。なぞった舌がすこしの引っ掛かりを覚えた。
オリオンはの答えを待っている。いや、行動を待っていると言い換えた方が正しい。に選択肢を与えるような意識は最初からないのだ。
は逡巡し、膝に付いた木の葉を払いながら立ち上がった。そして、気付かれないよう辺りの気配を探った。人ではなく、幽霊のである。だが最近そうであるように、近くに某幽霊はいない。内心舌打ちをした。
「それって急ぎなの? 用事があるから後にしたいんだけど」
昼寝をしていた身としては随分な言い訳である。オリオンはあからさまに眉を潜めた。
「我が君が呼んでいるという意味が分かっているんですか?」
「・・・・・・ま、そうなるよね」
やれやれ、と肩を竦める。多少腹を割ったほうがよさそうだ。
ここで問題とされているのは『立場』である。オリオンは明らかな信者であるから、物事をリドル中心に見ている。そしてそうである以上、をないがしろにするだろう。ならば、リドルを中心にして見てもなお尊重されるべき立場であることを提示しなければならない。
難しいだろう、と内心不安要素を数えた。そもそも、その立場を証明しうるのはリドルだけだったからだ。しかし、ここでオリオンに付いていくのはサラザールとしても困るだろうし、としても良い予感はしない。引くことはできなかった。
はなるべく強気に出た。
「あのね、私は客人であって仲間じゃないの。命令する権限はない。リットルさんも承知しているはずだわ。それを踏まえてから答えて欲しいのだけど、彼は私を『誘え』と言った? それとも『連れてこい』と言ったの?」
すうっとオリオンの目が細められる。明確な答えだった。
「従わない、と?」
「その義務はないわね」
静かに応え、は片足を軽く引こうとした。しかし次の瞬間、その目を見開いた。
「・・・・・・その杖はなに?」
「どうやらあなたは理解していないようだ」
オリオンの顔に浮かぶのは薄い嘲りだった。オリオンは杖の先をの胸に定め、それでいて姿勢に強張りはない。まるで人に向けることに慣れきったように。
湿気た空気が二人の間を流れた。木々は微かな音を立て、徐々に沈黙する。運ばれてきた森の匂いがそれと分からないうちに掻き消え、少し遅れて、乾いた落葉がかさかさと震えた。
オリオンは杖腕をピクリとも動かさず、口を動かす。
「貴方は客人の立場を与えられていただけで、それを決めるのは我が君だ。始めから対等な立場ではない。興味がある時に開き、知りたいことを知る、そのための一冊の本のようなものだ。今読みたいから傍に置いているにすぎない」
痛烈なまでに真理だった。は初めてオリオンに対し、その審美眼に関心し、同時に敵意を抱いた。目が凄みを増し、睨みつけるまでになったが、オリオンが意に介す気配はない。
「我が君が命令するなら、貴方に与えられた役割は変わったのだ。その意味を考えるのが賢明だと思いますがね」
「・・・・・・役割を、与える?」
は呟き、口元だけで笑った。
「分かってないわね。私たちはお互いに名前も知らないような他人なのよ。他人が役割を与えてくるなんて・・・・・・笑わせる」
それは、リドルに対して言った言葉でもある。
一つの関係の終わりがそこにあった。は約束をした手を、右手を、強く握った。
私たちは他人。そうでなくなったときは、それまでだ。


 

















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